ぎていた。
 この「我[#「我」に「(ママ)」の注記]輩は猫である」――漱石氏は私が行った時には原稿紙の書き出しを三、四行明けたままにしておいて、まだ名はつけていなかった。名前は「猫伝」としようか、それとも書き出しの第一句である「吾輩は猫である」をそのまま用いようかと思って決しかねているとの事であった。私は「吾輩は猫である」の方に賛成した。――は文章会員一同に、
「とにかく変っている。」という点に於て讃辞を呈せしめた。そうして明治三十八年一月発行の『ホトトギス』の巻頭に載せた。この一篇が忽ち漱石氏の名を文壇に嘖々《さくさく》たらしめた事は世人の記憶に新たなる所である。
 漱石氏の機嫌が悪かったということは学校に対する不平が主なものであったろう。そういう場合に、連句俳体詩などがその創作熱をあおる口火となって、終《つい》に漱石の文学を生むようになったということは不思議の因縁といわねばならぬ。「猫」を書きはじめて後の漱石氏の書斎にはにわかに明るい光りがさし込んで来たような感じがした。漱石氏はいつも愉快な顔をして私を迎えた。
 はじめ「猫」は一回で結末にしてもよく、続きを書こうと思えば書けぬこ
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