めに戸を開いたるペンは直ちに饒舌り出した。果せるかな家内のものは皆新宅へ荷物を方付に行って伽藍堂《がらんどう》の中《うち》に残るは我輩とペンばかりである。彼は立板に水を流すが如く※[#「女+尾」、第3水準1−15−81]々《びび》十五分間ばかりノベツに何かいっているが毫もわからない。能弁なる彼は我輩に一言の質問をも挟さましめざるほどの速度を以て弁じかけつつある。我輩は仕方がないから話しは分らぬものと諦《あきら》めてペンの顔の造作の吟味にとりかかった。温厚なる二重瞼と先が少々逆戻りをして根に近づいている鼻と、あくまで紅いに健全なる顔色と、そして自由自在に運動を縦《ほしい》ままにしている舌と、舌の両脇に流れてくる白き唾とを暫くは無心に見詰めていたが、やがて気の毒なような可愛想のようなまた可笑しいような五目鮨司《ごもくずし》のような感じが起って来た。我輩はこの感じを現わすために唇を曲げて少しく微笑を洩らした。無邪気なるペンはその辺に気のつくはずはない。自分の噺《はなし》に身が入って笑うのだと合点したと見えて赤い頬に笑靨《えくぼ》を拵えてケタケタ笑った。この頓珍漢なる出来事のために我輩はいよい
前へ 次へ
全151ページ中53ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
高浜 虚子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング