》」と題した長文の手紙が載って居る。これは三度に渉って氏から寄越した手紙であって、病床の子規居士を慰問の意味で、倫敦に於ける氏の生活状態を詳細に記述して来たものであった。洋行がして見たいという希望は当時の若い人の頭には一般にあった。この頃のように洋行ということが容易でなかったことと、今一つは日本の文化に現在ほど自信がなかったので、どうかして一度は洋行して西洋の文明に接して来たいという希望は現在の人よりも強かった。殊にそういう熱は常に西洋の書物に親しんでいた漱石氏よりも、かえって病床に在って俳句や和歌に親しんでいた子規居士の方に多かった。漱石氏と前後して浅井|黙語《もくご》、中村|不折《ふせつ》、相島|虚吼《きょこう》、森|円月《えんげつ》、直木|燕洋《えんよう》その他の諸君が洋行して送ってくれる一枚の絵葉書をも、居士は深い興味の眼を以て眺め入るのであった。そういう有様であったから漱石氏の倫敦に於ける下宿屋生活の模様を詳細に写生して来たこの「倫敦消息」は居士を悦ばしたことは一通りでなかった。もっともこれは病床の自分を慰めるために何か書いてくれぬかと居士の方から依頼して遣《やっ》たのであっ
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