まんで、それにしゃぶりつくのを見て、
「鶏はそんな風にして食っていいのですか。」と聞いたら、氏は、
「鶏は手で食っていいことになっていますよ。君のようにそうナイフやフォークでかちゃかちゃやったところで鶏の肉は容易に骨から離れやしない。」と言った。そこでこの日私は始めて、鶏を食うには指でつまんでいいことと、手の膏をとるのには白い粉をこすりつけることとを明かにして、この新洋行者の知識に敬意を表した。
それから氏は間もなく洋行をした。
五
漱石氏は香港から手紙を寄越した。それは明治三十三年九月のホトトギスに載って居る。
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航海は無事に此処《ここ》まで参り候えども下痢と船酔にて大閉口に候。昨今は大いに元気恢復。唐人と洋食と西洋の風呂と西洋の便所にて窮屈千万、一向面白からず、早く茶漬と蕎麦《そば》が食いたく候。(中略)熱くて閉口。二百十日には上海辺にて出逢い申候。
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阿呆鳥熱き国にぞ参りたる
稲妻の砕けて青し海の上
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明治三十四年四月発行の『ホトトギス』誌上に、また氏の手紙が載って居る。
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