ほど重きを置かず、漱石氏が東京俳友の消息に憧れているということに就いてもそれほど意をとめなかったのであった。果して氏の要求通り私は東京俳友の消息を氏に知らすことをしたかどうか。いわゆる東京の俳友の消息なるものが私にとってそれほど興味あることでなかったがために、それらの通信も怠り勝ちではなかったろうかとも思う。後年は文壇の権威をもって自任した漱石氏も、その頃は僅かに東京俳友の消息を聞いて、それを唯一の慰藉とする程度にあったのだと思うと面白い。なおこの時の漱石氏の寓居は熊本合羽町二百三十七番地であった。
次ぎに私の手にある漱石氏の手紙は明治三十一年一月六日の日附のものである。それはこういう文句のものである。この間にも若干の手紙を受取ったのであろうけれども今は手許に見当らぬ。
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其後不本意ながら俳界に遠ざかり候結果として貴君へも存外の御無沙汰申訳なく候。
承れば近頃御妻帯の由、何よりの吉報に接し候心地千秋万歳の寿をなさんがため一句呈上いたし候。
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初鴉《はつからす》東の方を新枕《にひまくら》
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小生旧冬より肥後小天(
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