で熊本から寄越したものである。まずその全文を掲げることにしよう。
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来熊《らいゆう》以来は頗《すこぶ》る枯淡の生涯を送り居り候。道後の温泉にて神仙体を草したること、宮島にて紅葉《もみじ》に宿したることなど、皆過去の記念として今も愉快なる印象を脳裡にとどめ居り候。今日『日本人』三十一号を読みて君が書牘体《しょとくたい》の一文を拝見致し甚だ感心いたし候。立論も面白く行文は秀《ひ》でて美しく見受申候。この道に従って御進みあらば君は明治の文章家なるべし。ますます御奮励のほど奉希望候。先日『世界の日本』に出でたる「音たてて春の潮の流れけり」と申す御句甚だ珍重に存じ候。子規子が物したる君の俳評一読これまた面白く存じ候。人事的時間的の句中甚だ新にして美なるもの有之《これあり》候様に被存《ぞんぜられ》候。然し大兄の御近什中《ごきんじゅうちゅう》には甚だ難渋にして詩調にあらざるやの疑を起し候ものも有之様存候。(心安き間柄失礼は御海恕|可被下《くださるべく》候)所謂《いわゆる》べく[#「べく」に白丸傍点]づくしなどは小生の尤も耳障に存候処に御座候。然し「われに酔ふべく頭痛あり」、ま
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