で漱石氏は驚いたような興味のあるような眼をして、
「君のも赤いのか。」と言ったことだけは、はっきりと覚えている。後年『坊っちゃん』の中に赤シャツという言葉の出て来た時にこの時のことを思い合わせた。
ある日漱石氏は一人で私の家《うち》の前まで来て、私の机を置いている二階の下に立って、
「高浜君。」と呼んだ。その頃私の家は玉川町の東端にあったので、小さい二階は表ての青田も東の山も見えるように往来に面して建っていた。私は障子をあけて下をのぞくとそこに西洋|手拭《てぬぐい》をさげている漱石氏が立っていて、また道後の温泉に行かんかと言った。そこで一緒に出かけてゆっくり温泉にひたって二人は手拭を提げて野道を松山に帰ったのであったが、その帰り道に二人は神仙体の俳句を作ろうなどと言って彼れ一句、これ一句、春風|駘蕩《たいとう》たる野道をとぼとぼと歩きながら句を拾うのであった。この神仙体の句はその後村上霽月君にも勧めて、出来上った三人の句を雑誌『めざまし草《ぐさ》』に出したことなどがあった。
三
漱石氏から私に来た手紙の、今|手許《てもと》に残っている一番古いのは明治二十九年十二月五日附
前へ
次へ
全151ページ中25ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
高浜 虚子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング