で歌った唄の文句であるらしかった。舞子の頭に翳《かざ》した櫛《くし》の名前が花櫛という事や畳の上を曳きずっている長い帯をだらりという事や、そういう名称なども舞子の片仮名交りの文字でその帳の上に書きとめさせていた。
「それでいい、なかなか千賀菊《ちがぎく》さんは字が旨《うま》いね。」などと漱石氏は物優しい低い声で話していた。千賀菊というのは『風流懺法』で私が三千歳《みちとせ》と呼んだ舞子であった。
 多くの舞子が去った後に残っていたのは、此の十三歳の千賀菊と同じく十三歳の玉喜久《たまぎく》との二人であった。二人とも都踊に出るために頭はふだんの時よりももっと派手な大きな髷に結《ゆ》っていた。花櫛もいつものよりももっと大きく派手な櫛であった。蝋燭の焔の揺らぐ下に、その大きな髷を俯向《うつむ》けて、三味線箱の上に乗せたスケッチ帳の上に両肱を左右に突き出すようにして書いている千賀菊の姿は艶に見えた。
 私たちはその夜は此の十三歳の二人の少女と共に此の一力の一間に夜を更かしてそのまま眠って了《しま》った。
 暁の光が此の十三歳の二人の少女の白粉《おしろい》を塗った寝顔の上に覚束なく落ち始めた頃私た
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