の芸子は新らしい顔ばかりであった。その中にお常《つね》さんという顔も美しくなければ三味線も達者に弾けない、服装《なり》も他に比べて大分見劣りのする芸子が一人混っていた。それが何かにつけて仲居からも他の朋輩からも軽蔑される様子のある事が痛ましく眺められた。私は此の芸子の名前がお常というのであった事を何故今でも記憶しているかと言うと、それは漱石氏の次の言葉を今も忘れずに牢記しているからである。
「あのお常さんという女は芸者を止めてよろしく淑女となるべしだ。」
 私はこの言葉を聞いた時に覚えず噴き出して笑った。漱石氏もまた笑った。
 燭台の蝋燭《ろうそく》の光は何時《いつ》もの如く大きく揺れていた。仲居の大きな赤前垂の色は席上に現われたり消えたりした。三味線の糸の切れる音や、舞扇の音を立てて開く音なども春の夜の過ぎ行く時を刻んで、時々鋭く響き渡った。そんな時間が経過している間《ま》にお常さんの姿も席上から消えて失《な》くなってしまい、多くの芸子舞子の姿も消えて失くなってしまった。漱石氏はその手に携えていた書家が持つようなスケッチ帳を拡げて舞子に何かを書かしていた。それは先刻お常さんが淋しい声
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