を灯に輝やかせながら、茶の手前をしているのを氏は面白そうに眺めていた。その手前がすむと忽《たちま》ち数十人のお酌が人形箱から繰り出したように現われて来て、列を作って待受けている我らの前に一ぷくずつの薄茶茶碗を運んで来るその光景をまた氏は面白そうに眺めていた。そうして京都言葉で喋々《ちょうちょう》と喋り立てる老若男女に伍して一服の抹茶をすするのであった。
 都踊を出て漱石氏はその儘下鴨の狩野氏の家に帰る心持もしなかったようであった。私は三条の私の宿に同道しようとも思うたのであったが、花見小路の灯の下のぬかるみの中に立って、漱石氏に、
「『風流懺法』の一力に行って見ましょうか。まだ一、二時間は遊ぶ時間があるだろう。」と言った。
「ええ行って見ましょう。」と漱石氏は答えた。
 都踊時分の一力は何時も客が満員であると聞いていた。とても座敷が明いていないだろうと思いながら、私は前月知り合いになった仲居の誰れ彼れに交渉して見たら、幸に一つの座敷が明いているとの事であったので、その座敷に上った。『風流懺法』に書いた名前の舞子は半《なかば》以上顔を見せた。けれどもそれは舞子たちのみであって、姉さんたち
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