ぶね》に栓をねじると美しい京都の水が迸《ほとばし》り出たり、四壁にはめたガラスを透して穏かな春の日影が流れ込んで来たりするので、漱石氏の心はよほど平らかになった模様であった。
「これは贅沢な風呂だ。」などと言いながら自分で栓をねじって迸り出る水を快さそうに眺めながら手拭を持った手で風呂の中を掻き廻しなどしていた。白い手拭が清澄な水の中で布晒《ぬのさら》しのように棚引いていた。二人は春の日が何時《いつ》暮れるとも知らぬような心持で、ゆっくりと此の湯槽の中に浸《つか》って、道後の温泉の回想談やその他取りとめもない雑談をして大分長い時間を此の湯殿で費した。
湯から出た後の漱石氏は前ほどに昂奮していなかった。お重に鋏《はさみ》を借りて縁に投げ出した足の爪を自ら剪《き》ったりした。お重と二人廊下に立って春雨に曇った東山を眺めながら、あれが清水の塔だ、あれが八坂の塔だなど、話し合っていたりした。晩飯をすませてから灯火《ともしび》の巷の花見小路を通って二人は都踊に這入った。
都踊の光景は何時来て見ても同じものであった。待合室に待って居る間に、客に連れられた一人の舞子が私に辞儀をした。
「君は舞子
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