》という女中頭をしている気の勝った女であった。
「一緒に這入りませんか。」と私が勧めたら、氏は、
「這入りましょう。」と言って逆らわなかった。が、その時投げ出していた足をお重の鼻先に突き出して黙ってお重を瞰《ね》めつけていた。お重は顔を赤くして、口を堅く引き緊《し》めて、じっとそれを見ていたが漸く怒を圧《おさ》え得たらしい様子で、
「足袋をお脱《ぬ》がせ申すのどすか。」と言って両手を掛けてこはぜを外しかけた。その足袋の雲斎底には黒く脂が滲み出していて、紺には白く埃がかかっていた。片方の足袋を脱がし終ると更らに此方《こちら》の足を突き出した。それもお重は隠忍して脱がせた。私は何のために漱石氏がそんな事をするのかと、ただ可笑《おか》しく思いながら、その光景《ありさま》を眺めて居た。が、も少し宿が威張った宿であるとか、女中が素的な美人であるとかしたならば、この舞台も映えるかも知れないけれども、そんなに漱石氏が芝居をするほどの舞台でもあるまいというような少し厭な心持もせぬではなかった。私は氏を促し立てて湯殿に這入った。
 湯殿は大きな鏡があったり、蝋石のテーブルがあったり、新しい白木の湯槽《ゆ
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