と思うのみにて何事もそう出来し事無之、耄碌《もうろく》の境地も眼前に相見え情なく候。御能へは多分参られる事と存居候。万事はその節。匆々頓首。
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   六月十日[#地から3字上げ]金之助
     虚子先生座右
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   京都で会った漱石氏

 私は別項「漱石氏と私」中に掲げた漱石氏の手紙を点検している間に明治四十年の春漱石氏と京都で出会った時の事を昨日の如く目前に髣髴《ほうふつ》した。これは「漱石氏と私」中に記載してもいい事であるけれども、手紙の分量の多いために、一々その聯想を書く事は煩《わずらわ》しいので、そこにはこれを省き、別に一章としてその当時の回想を書き止めて見ようと思い立ったのである。
 それは春雨の降っている日であった。七条の停車場《すてーしょん》から乗った俥《くるま》は三条の万屋の前に梶棒を下ろした。幌《ほろ》の中で聞いている京都の春雨の音は静かであったが、それでも賑やかな通に出ると俥の轍《わだち》の音が騒々しく行き交《まじ》ってやわらかみのある京都言葉も、慌《あわただ》しげに強く響いて来るのであった。今俥の幌の中からぬけ出て茶屋の
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