塀の発行所が余り愉快なものにうつつてゐないに相違ない。我等が神飢ゑ気疲れてテーブルの前に茫然としてゐる時に、気持よく我等の眠りを覚まし気分を引き立たせてくれるものは、この子供等の投げる石の音である。其石は丁度我等の頭の上の瓦に当つて戛《かつ》と鳴つたと思ふと屋根を転げる音がして庭に落ちる。と思ふ間に又た第二の奴が気持よく頭上の瓦に当つて痛快に脳天に響く。と同時に歓声が門前で起る。此場合「石を投げてはいけない。」と社員の一人が怒鳴る。その声が寧ろ間が抜けて聞える。これらの子供の親達は矢張り門辺に立つて其子供のする事を見て居るのであるが、例によつてそれを止めようとはしない。それよりも「石を投げてはいかぬ。」と云ふ、発行所の中から響く声の聞えた時に其眼は異様に輝く。
 これらの人々が発行所の我等に対して何事をか危害を与へて遣りたいと云ふ様な、そんな気の利いた考を持つてゐるとは見えぬ。我等はそれらの店で煙草を買ふこともある。それらの家の者に使を頼む事もある。或時は物を与へる事もある。私達が表を通る時には愛嬌よく彼等は辞儀をする。彼等が自ら手を下して貧しき者から富める者――其実発行所は富める者で
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