ら3字下げ]
俳病の夢みなるらんほとゝぎす拷問などに誰がかけたか
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 即ち居士の日課の短文――『病牀六尺』――はこれで終末を告げている。そうして居士は越えて一日、九月十九日の午前一時頃に瞑目《めいもく》したのであった。実に居士は歿前二日までその稿を続けたのであった。
 もっともそれらの文章は、代り合って枕頭に侍していた我らが居士の口授を筆記したものであった。前に陳《の》べた余が居士の足を支えたというのはたしか十三日であったかと思う。
 十三日の夜は余が泊り番であった。余は座敷に寝て、私《ひそ》かに病室の容子を窺《うかが》っていたのであったが、存外やすらかに居士は眠った。居士の眼がさめたのはもう障子が白んでからであった。
 まず居士は糞尿の始末を妹君にさせた。その時、「納豆々々」という売声が裏門に当る前田の邸中に聞こえた。居士は、
「あら納豆売が珍らしく来たよ。」と言った。それから、「あの納豆を買っておやりなさいや。」と母堂に言った。母堂は縁に立ってその納豆を買われた。
 居士はこの朝は非常に気分がいいと言って、余に文章を筆記させた。「九月十四日の朝」と題する文
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