つことも払うことも出来ないので大《おおい》に弱った。その時居士はこんなことを言った。
「脇の修行が出来るよ。」と。それは微動もせずにじっと端坐しているのが、能の脇の修行になると戯れたのであった。その頃余も碧梧桐君も宝生金五郎《ほうしょうきんごろう》翁の勧めに従って脇連《わきづれ》などに出ていたのであった。
 前の臭いぞよ、と言った言葉も、この脇の修行が出来るよ、と言った言葉もすこし舌がもつれて明瞭には響かなかった。けれども十分に聞き取れぬほどではなかった。
 この頃でもなお居士は例の新聞に出す日課の短文を止めなかった。試に九月十二日以後の文を抜載する。

[#ここから1字下げ]
▲支那や朝鮮では今でも拷問《ごうもん》をするそうだが自分はきのう以来昼夜の別なく五体すきなしという拷問を受けた。誠に話にならぬ苦しさである。(十二日)
▲人間の苦痛はよほど極度へまで想像せられるがしかしそんなに極度にまで想像したような苦痛が自分のこの身の上に来るとは一寸想像せられぬ事である。(十三日)
▲足あり、仁王の足の如し。足あり、他人の足の如し。足あり、大磐石の如し。僅に指頭を以てこの脚頭に触るれば天地震
前へ 次へ
全108ページ中96ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
高浜 虚子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング