ものがないとたちまち倒れそうで痛みを感ずるというので妹君《まいくん》が手を添えておられたがその手が少しでも動くとたちまち大叫喚が始まるのであった。ある時妹君が用事があって立たれる時に余は代ってその役目に当った。その頃の居士は座敷の方を枕にしていたので――臨終の時の姿勢もその時の通りであった――いつも座敷に坐っていた我らは暫く居士の顔を見なかったのであったが、そのいたましい脚に手を支えながら暫くぶりに見た居士の顔は全く死相を現じていたのに余は喫驚した。
臨終に近い病人の床には必ず聞こゆる一種の臭気が鼻を突いた。大小便を取ることも自由でなかったのでその臭気は随分烈しかった。
「臭いぞよ。」と居士は注意するように余に言った。
「それほどでもない。」と余は答えた。
左の手で、仰臥しておる居士の右脚を支えるのであったがじっと支えているうちに手がちぎれそうに痛くなって来た。けれどもその余の手が微動をしても忽ち大震動を居士の全身に与えることになるのだからじっと我慢していなければならなかった。それは随分辛かった。その上根岸は蚊が名物なので、そうやっている手にも首筋にも額にも蚊が来てとまる、それを打
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