じたのであった。
居士に就いていうべき事はなお頗る多い。が、『ホトトギス』東遷後は世人の耳目に新たなることであるからここにはこれを省き、他日機会を得て別に稿を起こすことにしょうと思う。
十四
『ホトトギス』東遷後の居士の事業が俳句、和歌、写生文の三つであった事は前回に陳《の》べた通りであったが、その他居士は香取秀真《かとりほずま》君の鋳物《いもの》を見てから盛にその方面の研究を試み始めたり、伊藤左千夫君が茶の湯を愛好するところから同じくその方面の趣味にも心をとめて見たり、また晩年は草花類の写生を試みて浅井画伯などの賞讃を博したりしていた。ある時余が訪問して見ると居士は紙の碁盤の上に泥の碁石を並べていた。別に定石の本とか手合せの本とかを見て並べているわけではなく、ただ自分の考で白と黒との石を交りばんこに紙の上に置いているのであった。それまで殆ど碁というものに就いて何の知識もなかった居士はふと思い立って碁の独り研究を始めたのであった。ある時風が吹いたために折角《せっかく》並べた石が紙と共に飛んでしまって何もなくなってしまったというようなことを居士自身で文章にしたことがあったよ
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