る。時には気のついて居る事もあるけれども、気がついていながらそれを踏むことが面倒臭いのである。そのため人から種々の誤解を受け反感を招くのである。これは他人の罪でなく一に余の罪である。此の東京で『ホトトギス』を遣るようになった時も余は居士とは熟議を経たけれども碧梧桐君その他にはあまり念の入った相談はしなかったかと思う。碧梧桐君らがその事についてたいした同情を持たず、時としては反感を抱くことすらあったというのも当然の事だと今からは考えるのである。
が、諸君とそういう関係であったという事が余と居士との関係をしてますます深からしめる原因ともなったのであった。
「『ホトトギス』は他の何人の力も借らずに二人の力でやらねばならぬ。」
こういう考は期せずして両人の頭に在った。
『ホトトギス』は予期以上の成功であった。当時の文壇はまだ幼稚であって文学雑誌というものも『早稲田文学』、『帝国文学』、『めさまし草』、その他一、二あったばかりで競争者が少なかったのにも原因するであろうが、初版千五百部が瞬く間に売切れて五百部再版したことはちょっと目ざましいことであった。第二号は千二百部を刷り第三号は千部を刷っ
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