たが、いずれも売切れて、第三号はあまり用心し過ぎて大分読者に行渡らず種々の不平を聞いたほどであった。第四号以下は千二、三百から千四、五百に殖えて行ったように記憶する。
 この雑誌売行の成功という事は頗《すこぶ》る仲間の人気を引立てた。居士初め何人も我党の人気がそれほど盛であろうとは予期しなかった事でいずれも多少の意外に感じたことであった。が、同時にまた、
「虚子は我ら仲間が食わしてやっているのだ。」というような不平が同人仲間にあった。これもやはり余に対する同情の少なかったのが原因で、それも余の不注意が最大原因を為しているのであった。
 居士は余と他の人々との間に立って両者の意思を疏通《そつう》することを常に忘れなかった。が、また他の人々の意見を借りて居士自身の不平を余に訴えることも少くはなかった。
 余は先きに『ホトトギス』の関係が出来てから居士の周囲に於ける余の影は再び濃くなったと書いたが、しかし悲しむべきことには一方に妻子を控えていた余は決してその昔し――道灌山以前に――余が居士の周囲に影の濃かった時代に比べると何処《どこ》となく不純なところがあった。かつて居士の眼に、世間の事には
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