今もなお余を支配している。余は今でもなお学問する気はない。けれどもどこまでも大文学者にはなろうと思っておる。余の大文学者というのは大小説家ということである。それ以上を問うことは止めてもらいたい。ただ大小説家となろうと思っているのである。
此の余が居士の周囲の一人として影の薄い時代に種々の俳人が居士の周囲を彩《いろど》った。その中《うち》に中野|其村《きそん》君のような人もあった。其村君は何人《なんぴと》の子で何国の産という事を知らない。ただ落語家の燕枝《えんし》の弟子であったとか博徒《ばくと》の子分であったとか饗庭篁村《あえばこうそん》氏の書生であったとかいう事のみが伝えられていた。三多摩郡《さんたまごおり》の吉野左衛門君の家に書生をしていた頃から『日本新聞』に投句して我ら仲間の人となったのである。余の下宿にも書生の目には珍らしい大きな菓子折を持って刺《し》を通じて来た。長大な体に汚い服装をして顔も煤《すす》け色をして、ドンモリで、一見立ちん坊を聯想するような男であった。赤い舌を出したりひっこめたりしながら余の知らぬ色んな面白い話をして聞かせた。三十に近い同君が二十二歳の余を先生先生
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