う事を言ったことがある。自分はたといどんな詰まらぬ句であっても一句でもそれを棄てるに忍びない。如何《いか》なる悪句でも必ずそれを草稿に書き留めておく。それは丁度金を溜める人が一厘五厘の金でも決して無駄にはしないというのと同じ事である。僅か一厘だから五厘だからと言ってそれを無駄にするような考があったら如何に沢山の収入のあるものでも金持になることは出来ない。それと同じ事で、たとい如何に沢山の句を作る人でも、その句を粗略にして書きとめておかないような人はとても一流の作者にはなれない。そういう点に於て私《あし》は慾張りであると。即ちこの意味に於て居士は慾張りであった。執着心があった。愛があった。
松山で初めて居士に逢ってから神戸病院、須磨保養院、道灌山に至るまでの余は居士の周囲に在る一人《いちにん》として自ら影の濃い感じがするが、それ以後『ホトトギス』を余の手で出すようになるまでのおよそ三ヶ年間はよほど影の薄い感じがする。もっともこれはただ感じである。明治二十九、三十、三十一年の三年間は最も熱心に句作した年で、また居士が鳴雪翁、碧梧桐君らと共に余を社会に推挙した年で、それまでは放浪の一書生に
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