長かったとはいえぬのであるが、それでも此の道灌山の破裂以来も、なお他の多くの人よりも比較的親しく厚い交誼《こうぎ》を受け薫陶《くんとう》を受けた事は事実である。だから一面からこれを見ると、その婆の茶店の出来事というのも畢竟一時の小現象に過ぎなかったので、前後を一貫してその底深く潜めるところのものの上には何の変るところもなかったともいえるのである。が、また他の一面からこれを見ると、それと反対に居士と余とは遂に支吾を来さねばならぬ運命に在ったので、その最初の発現が道灌山の出来事であったともいえるのである。更に一歩を進めて言えば、爾来《じらい》居士の歿年である明治三十五年までおよそ六年間の両者の間の交遊は寧ろその道灌山の出来事の連続であったともいえるのである。かつて碧梧桐君は「居士は虚子が一番好きであったのだ。」と言った。居士が最後の息を引き取った時枕頭に在った母堂は折節共に夜伽《よとぎ》をせられていた鷹見氏の令夫人を顧みて「升は一番|清《きよ》さんが好きであったものだから、なにかというと清さんにお世話になりました。」と言われた。余はそう言って泣かれた母堂を見てただ黙って坐っていた。余は此の
前へ
次へ
全108ページ中59ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
高浜 虚子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング