の一にも当らぬほどで二人の間にはむしろ不愉快な絶望的の沈黙が続いた。居士はもう自分の生命は二、三年ほかないものと覚悟した一つのあせりがもとになってじりじりと苛立《いらだ》っていた。二十三歳の快楽主義者であった余は、そういうせっぱ詰った苛立った心持には一致することが出来なかった。
「私《あし》は学問をする気はない。」と余は遂に断言した。これは極端な答であったかも知れぬがこう答えるより外に途がないほどその時の居士の詰問は鋭かった。が、また今日から考えて見ても此の答は正しい答であったと思う。余はたとい学問の興味が絶無でないまでも、生涯を通じて読書子ではないのである。余の弱味も強味も――もしそれがありとすれば――何れも此の非読書主義の所に在る。
「それではお前と私《あし》とは目的が違う。今まで私のようにおなりとお前を責めたのが私の誤りであった。私はお前を自分の後継者として強うることは今日限り止める。つまり私は今後お前に対する忠告の権利も義務もないものになったのである。」
「升《のぼ》さんの好意に背くことは忍びん事であるけれども、自分の性行を曲げることは私《あし》には出来ない。つまり升さんの忠告
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