んだ。恐らくその晩が病の峠であったろう。前日少し牛乳を取ったためであろうか、その暁の血色は今までよりはいくらかいいようであった。その日から咯血もやや間遠になって来た。
それから居士の母堂を伴って碧梧桐君が東京より来、大原氏――居士の叔父《しゅくふ》――が松山より見えるようになった頃は居士の病気もだんだんといい方に向っていた。
病床の一番の慰めは食物であった。碧梧桐君と余とが毎朝代り合って山手の苺《いちご》畑に苺を摘みに行ってそれを病床に齎《もた》らすことなども欠くべからざる日課の一つであった。戦地や大本営に往還《ゆきかえり》の日本新聞記者や他の社の従軍記者なども時に病床を見舞って自由に談話を交換するようになった。鼠骨君も京都から来てある期間は看護に加わり枕頭で談笑することなども珍らしくはなかった。
いよいよもう大丈夫と極ってから大原氏は松山にかえり、碧梧桐君は母堂を伴って東京にかえり、後に残るものは、また余一人となった。急に淋しくはなったけれども、もう以前のように心細いことはなかった。癪に障っていた附添婦とも病室が晴れやかになるに従い親しくなった。依然として執拗《しつよう》な処は
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