。たしか、余が子規居士の家を訪問して忘れて帰った傘を巌君が届けてくれたのかと覚えて居る。その頃子規居士は夏休みで帰省していたのである。
 それからまたこういう事を覚えて居る。一人《いちにん》の大学の制服をつけた紳士的の態度の人が、洋服の膝《ひざ》を折って坐って居る、その前に子規居士も余も坐って居る、表には中の川が流れている。これは居士の家の光景で、その大学の制服を着ている人は夏目漱石君であった。何でも御馳走《ごちそう》には松山|鮨《ずし》があったかと思う。詩箋《しせん》に句を書いたのが席上に散らかっていたようにも思う。
 三津の生簀《いけす》で居士と碧梧桐君と三人で飯を食うた。その時居士は鉢の水に浮かせてあった興居《ごご》島の桃のむいたのを摘《つま》み出しては食い食いした。その帰りであった。空には月があった。満月では無くて欠けた月であった。縄手《なわて》の松が黒かった。もうその頃汽車はあったが三人はわざと一里半の夜道を歩いて松山に帰った。それは、
「歩いて帰ろうや。」という居士の動議によったものであった。その帰りに連句を作った。余と碧梧桐君とは連句というものがどんなものかそれさえ知らな
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