うと思うから教を乞いたいと言って遣った。それに対する子規居士の返書は余をして心を傾倒せしめるほど美しい文字で、立派な文章であった。これから河東君と余とは争って居士に文通し、頻《しき》りに文学上の難問を呈出した。居士は常にそれに対して反覆丁寧なる返書をくれた。それは巻紙の事もあったが、多くは半紙もしくは罫紙《けいし》を一|綴《つづり》にし切手を二枚以上|貼《は》ったほどの分量のものであった。
子規居士は手紙の端にいつも発句《ほっく》を書いてよこし、時には余らに批評を求めた。余らは志が小説にあるのであるから更にこの発句なるものに重きを置くことが出来なかった。しかも近松を以て日本唯一の文豪なりと『早稲田文学』より教えられていたのが、居士によって更により以上の文豪に西鶴なるもののある事を紹介されて以来、我らは発句を習熟することが文章上達の捷径《しょうけい》なりと知り、その後やや心をとめて翫味《がんみ》するようになった。
二
余は一本の傘《からかさ》を思います。それはどうしたのかはっきり判らぬがとにかく進藤|巌《いわお》君が届けてくれたのだ。進藤巌君というのは中学の同級生であった
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