となどを記憶している。その後久保天随君の名は常に耳にしているが、今でも余のデスクの傍に来て文章を書く事を勧めた時のジャン切り頭、制服姿が君の印象のすべてである。その後余は天随君には一度も逢わないのである。
 坂本四方太、大谷繞石の二君はやはり京都よりの転学組に属する。大谷繞石君は京都でもよく往来《ゆきき》した。一緒に高知の人吉村君に剣舞を習ったりした。「孤鞍衝雨《こあんあめをついて》」などは繞石君得意のもので少女不言花不語《しょうじょものいわずはなかたらず》の所などは袖《そで》で半《なか》ば顔を隠くして、君の小さい眼に羞恥《しゅうち》の情を見せるところなど頗《すこぶ》る人を悩殺するものがあった。余も東京に放浪中は酒でも飲むとこの京都仕込みの剣舞を遣ったが、東京の日比野|雷風《らいふう》式の剣舞に比較して舞のようだという嘲罵を受けたので爾来《じらい》遣らぬことにした。
 余が京都で無声会という会を組織して回覧雑誌を遣っていた時も繞石君はその仲間であった。――序《つい》でに無声会員は栗本勇之助、金光|利平太《りへいだ》、虎石|恵実《けいじつ》、大谷繞石、武井|悌四郎《ていしろう》、林|並木
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