文章を居士に見てもらったら居士は絶望したように、
「こりゃ文章になっておらん。第一これじゃ時間の順序が立っていないじゃないか。それに場所も判《はっ》きりしない。」と言って、例の皮肉な調子で、「お前はもう専門家じゃないか。学校に通学している傍で作る文章ならこの位でもよかろうけれど、学校まで止めてかかった人としてはこんな事ではいかんじゃないか。」
余はまた広漠な東京市中を訳もなく彷徨き廻るのであった。
これより先子規居士は『日本新聞』の分身である『小日本』という新聞を経営しておった。それには五百木《いおき》飄亭君も携わっていた。この新聞は相当に品格を保って、それで婦女子にも読ますようなものを作ろうというのであったが、元来売行が面白くなかった上に、やがて日清戦争が起ったためにその維持が出来なくなり遂に廃刊の止むなきに至った。その当時に起った主要な事件を列挙すると、
浅井|忠《ちゅう》氏の紹介で中村|不折《ふせつ》君が『小日本』に入社。
石井露月《いしいろげつ》君が校正として『小日本』に入社。
斎藤緑雨《さいとうりょくう》君が何とかいう時代物の小説を『小日本』に連載。
緑雨君の弟子
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