のの行末がどうなることかと言い合わしたように余を憫殺《びんさい》するものの如く見えるので、余の自負心を傷《そこな》うこと夥《おびただ》しく、まずそういう処に出席するよりもと、寧ろ広漠な東京市中をただ訳もなく彷徨《うろつ》き廻る日の方が多かった。浅草の観音堂から玉乗り、浪華踊、向島、上野、九段、神田、本郷の寄席を初めとして、そんな処に日を消し夜を更かすことも珍らしくなかった。
 子規居士は心配して、ある時余に、
「どうおしる積りぞな。」と聞いた。余は何とも答える事が出来なかった。
「とにかく何でも書いて御覧や。文章が出来なけりゃ俳句だけでも熱心に作って御覧や。」と居士は更に忠告した。去年京都の嵐山で前途を語り合った時とは総ての調子がよほど違っていた。これも余の自負心を傷けることが少くなかった。
 ある時日本新聞社に来ておった案内状とパッスを居士は余に持って帰ってくれて小金井の桜を見に行けと勧めた。余はこの時初めて汽車の二等に乗って小金井の桜なるものを見に行った。その紀行文を『日本新聞』に書かなければならなかったのだが、余は遂に何ものをも書かなかったように思う。その後ち百花園の春色を描いた
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