だ舞ってはいかぬいかぬと言いながら舞台で舞い始めたので、余は堪《こら》えずに橋がかりで舞い出したのであった。碧梧桐君もその頃は殆ど余と同身一体のような有様であった。性格の全く異った二人は常に同一行動を取っていた。橋がかりの子獅子は二匹であったのである。
さて余は中学を三月に卒業して九月に京都の第三高等学校に入学することになった。京都遊学が近づいて来るに従ってさすがに嫁入り前の娘のような慌だしい心持がせぬでもなかった。自然その頃は子規居士との手紙の往復よりも、京都の学校に在《あ》る先輩との手紙の往復の方が多くなった。いよいよ京都に行ってからも下宿の番地を知らしたきり位であまり居士とは通信もしなかったように思う。一段高い学府に籍を置いたという厳粛な感じに支配せられて燈下に膝を折って下読みにいそしむ事も多く、同時にまた松山の狭い天地を出て初めて大きな都に出たという満足の下にその千年前の旧都を飽きもせずに彷徨《うろつ》き廻る日も多かった。歴史があり、物語があり、繁華がある。それらは暫《しばら》くの間若い心を躍らせて常に憧憬の衢《ちまた》であった東都の空を想う念も暫くの間は薄らいでいた。
そ
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