社と極《きま》った時に、何でも居士は、
「僕の家《うち》に虚子という男が居る、遊びに行って見給え。」とでも言ったものと見える。居士の留守中に露月君は遣って来た。そこで余は座敷に火鉢を隔てて相対して坐った。余はこの時つくづく露月を変な男だと思った。シンネリムッツリで容易に口を開かない。そうして時々笑う時には愛嬌《あいきょう》がある。その時余は、
「君は天然が好きですか、人事が好きですか。」という質問を発した。それに対する露月君の答は、
「天然の中《うち》に在る人事、人事の中に在る天然が好きです。」というのであった。その頃から露月君は老成していた。そうして後年何かの紙上に、当時の余の質問の事を書いて、
「……というような大分早稲田|臭《くさ》いことを言われた。」と冷かしていたかと思う。
この頃居士はもう今の家に移っていたのだが、棟続きの隣の家に松居松葉《まついしょうよう》君が一時住まっていた事があった。裏庭伝いに訪ねて来て雑談をして帰ったこともあったかと思う。また『早稲田文学』に何か俳句に関することを書いてもらいたいと言って島村抱月君が居士を訪問して来た事もあった。
余はいつまで経《た》っても、小説はもとより多少|纏《まとま》った文章をも仕上げる事が出来なかった。遂に意気地なくも復校と決して、その事を京都の碧梧桐君に交渉すると、ともかく京都へ来い、大概は出来る見込みだが、一度当人に会って見ねば確答する訳に行かぬと主任教師がいうと言って来た。そこで在京日数およそ二百日の後、余は空しくまた京都に逆戻りと決し、六月何日に根岸庵を出て木曾路を取ることに極《き》めた。古びた洋服に菅笠、草鞋《わらじ》、脚絆《きゃはん》という出立《いでた》ち。居士が菅笠に認《したた》めくれたる送別の句、
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馬で行け和田塩尻の五月雨 子規
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余はそれに同行二人《どうぎょうににん》、行雲、流水と書き添えて、まず軽井沢まで汽車に乗り、そこから仲山道、木曾路と徒歩旅行を試み、美濃の山中で物好きに野宿などをし、岐阜からまた汽車に乗って京都に入った。旧知の山川に迎えられて、今は碧梧桐、鼠骨両君の住まっている、もとの虚桐庵に足踏み延ばしてその夜は熟睡した。
六
京都に着いた翌日早速碧梧桐君と連れ立って余のクラスの受持であった服部宇之吉先生の家を訪問した。宇之吉先生は綺麗《きれい》に油で固めた髪を額に波打たせその下に金縁眼鏡を光らせつつ玄関に突立って、
「もう二度と勝手なことをしなければ今度だけは復校を許すことにする。勿論前の級には駄目だから次の級に入れる。それで君も知っている通り今度高等学校制が変って京都の大学予科は解散することになったから、他の学校に生徒を分配する。君は鹿児島の造士館に行くことになっている。」との事だ。鹿児島と聞いて余は失望した。
もっとも東京から手紙で碧梧桐君に交渉した時にも鹿児島なら欠員があるから許してもいいというような話であったとの事であったので、どうか他の学校の方に運動して見てくれぬか、一高が出来れば申分ないが、それがむずかしければ二高でも四高でもいいなどと言って遣って碧梧桐君を労しておいたのだが、やはり鹿児島でなけりゃ駄目なのかと余はギャフンと参った。今考えれば鹿児島などかえって面白かったかとも思うのだが、その頃は造士館というとまだ大分蛮風の残っている話が盛んで、生温《なまぬる》い四国弁などでぐずぐずいうと頭から鉄拳《てっけん》でも食わされそうな心持もするし、それにまだその頃は九州鉄道も貫通していなかった頃で交通も不便だし、京都から移って行く文科の男は他に一人もなさそうだし、頗《すこぶ》るしょげざるを得なかった。
しかしこれは服部先生の思惑違いであって、余はやはり碧梧桐君などと共に二高――仙台――に行く事に極った。
大学予科の解散という事は生徒に取っては一方ならぬ動揺で何百人という人が一時に各地に散る事になったので痛飲悲歌の会合が到る処に催おされた。しかし今の余に取っては前の同級生は最早《もはや》上級生で、今度の同級生たるべき人には二、三氏の外は親しみがないのでそのどの会合にも加わらなかった。そうしてただ碧、鼠二君らと共に悠遊した。多くの人が行李《こうり》を抱いて一度郷里に帰り去って後も我らはなお暫く留まって京洛の天地に逍遥《さまよ》うていた。
それから夏季休暇は松山で過ごして碧梧桐君と相携えて東京を過《よ》ぎり仙台に遊んだのは九月の初めであった。この時東京で俳句会のようなものがあったかなかったか、そういう事は全く記憶に残っておらぬ。しかし同郷の多くの先輩に一度廃学の遊蕩子《ゆうとうし》と目されていたものが、ともかく再び高等学校生徒として上京して来たのであるから、それらの
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