のの行末がどうなることかと言い合わしたように余を憫殺《びんさい》するものの如く見えるので、余の自負心を傷《そこな》うこと夥《おびただ》しく、まずそういう処に出席するよりもと、寧ろ広漠な東京市中をただ訳もなく彷徨《うろつ》き廻る日の方が多かった。浅草の観音堂から玉乗り、浪華踊、向島、上野、九段、神田、本郷の寄席を初めとして、そんな処に日を消し夜を更かすことも珍らしくなかった。
 子規居士は心配して、ある時余に、
「どうおしる積りぞな。」と聞いた。余は何とも答える事が出来なかった。
「とにかく何でも書いて御覧や。文章が出来なけりゃ俳句だけでも熱心に作って御覧や。」と居士は更に忠告した。去年京都の嵐山で前途を語り合った時とは総ての調子がよほど違っていた。これも余の自負心を傷けることが少くなかった。
 ある時日本新聞社に来ておった案内状とパッスを居士は余に持って帰ってくれて小金井の桜を見に行けと勧めた。余はこの時初めて汽車の二等に乗って小金井の桜なるものを見に行った。その紀行文を『日本新聞』に書かなければならなかったのだが、余は遂に何ものをも書かなかったように思う。その後ち百花園の春色を描いた文章を居士に見てもらったら居士は絶望したように、
「こりゃ文章になっておらん。第一これじゃ時間の順序が立っていないじゃないか。それに場所も判《はっ》きりしない。」と言って、例の皮肉な調子で、「お前はもう専門家じゃないか。学校に通学している傍で作る文章ならこの位でもよかろうけれど、学校まで止めてかかった人としてはこんな事ではいかんじゃないか。」
 余はまた広漠な東京市中を訳もなく彷徨き廻るのであった。
 これより先子規居士は『日本新聞』の分身である『小日本』という新聞を経営しておった。それには五百木《いおき》飄亭君も携わっていた。この新聞は相当に品格を保って、それで婦女子にも読ますようなものを作ろうというのであったが、元来売行が面白くなかった上に、やがて日清戦争が起ったためにその維持が出来なくなり遂に廃刊の止むなきに至った。その当時に起った主要な事件を列挙すると、
 浅井|忠《ちゅう》氏の紹介で中村|不折《ふせつ》君が『小日本』に入社。
 石井露月《いしいろげつ》君が校正として『小日本』に入社。
 斎藤緑雨《さいとうりょくう》君が何とかいう時代物の小説を『小日本』に連載。
 緑雨君の弟子たる小杉天外君が初めて「蝶ちゃん」(?)という小説を『小日本』に連載。これが天外君の初舞台?。
 子規居士既作の処女作「月の都」を『小日本』紙上に連載、続いて「一日物語《いちにちものがたり》」その他を連載。
『小日本』紙上にて俳句を募集。その応募者のうちに把栗《はりつ》、墨水《ぼくすい》、波静《はせい》、梅龕《ばいがん》、俎堂《そどう》等の名を見出した事。
等。
 さて句会は月に一会以上諸処に催おされて、その出席者は居士、鳴雪、飄亭、非風、古白、牛伴《ぎゅうはん》(為山)、松宇、桃雨、猿男《さるお》、得中《とくちゅう》、五洲、洒竹、紫影《しえい》、爛腸《らんちょう》(嶺雲)、肋骨《ろっこつ》、木同《もくどう》、露月、把栗、墨水、波静、虚子らの顔触《かおぶれ》であったかと記憶して居る。この中《うち》にはまだこの頃は面《かお》を出さず、『小日本』廃刊後になって初めて出席した人が誤って這入《はい》っているかも知れぬ。
 居士も飄亭君も殆ど全力を上げて『小日本』に尽していた。何にせよ記者はこの二人を中心にして他に二、三人あるかないか位なのだからその骨折というものは一通りではなかったようである。別に外交記者も置いてなかったので、通信種を引延ばせて面白くするのが専ら飄亭君らの役目であったらしく記憶して居る。例えば何月何日に雷《らい》が鳴って何とかいう家におっこちたという通信種を、その家の天水桶に落雷して孑孑《ぼうふり》が驚いたという風に書いて、その孑孑の驚いたという事が社中一同大得意であったかと記憶する。
 居士は朝起きると俳句分類に一時間ばかりを費し、朝寝坊であったから間もなく出社、夕刻、ある時は夜に入り帰宅。床の中に這入ってから翌日の小説執筆、十一時、十二時に至りて眼《ねむ》るというような段取りであった。そうしてこの床の中に這入ってからの小説執筆が遂に余の役目になって、居士の口授を余は睡魔を抑えつつ筆記しなければならぬ事になった。余は一方《ひとかた》ならず此の筆記に悩まされたものだ。「一日物語」はこの床の中での製作である。
「不折という男は面白い男だ。」と居士は口癖のようによく言っていた。「お前も逢って御覧、画の話を聞くと有益な事が多い、俳句に就いての我らの意見とよく似て居る。」
『小日本』紙上には不折君の画に居士の賛《さん》をしたものが沢山に出た。
 石井露月君が初めて入
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