手の誰であるかという事にもとより頓著はない。小僧、給仕、車夫、勤め人、女給、禿頭、様々な人が群集して来ているが、総てに対してそうである。かの多くの三等局などで、速達便を持って行くと、前に誰かが出したただ一本の書留郵便を処理するのに悠々と時間を費し、漸くその書留郵便を終ると、はじめて速達便に移って、わかっている目方のものを鄭重に秤《はかり》にかけて見てやっと受取るようなのとは大変な相違である。
余り無造作なので、あれで無事に配達してくれるかと思う事もあるが、三、四時間の後《のち》にたしかに先方で受取ったという電話がかかる。
普通郵便物にしたところでポストに抛り込むように出来てはいるが、そこに一人いる局員に手渡しても受取ってくれる。彼は受取るかたわら地方別にしている。
雑誌などを車で引き込むと、すぐ向うの方で、それが処理されている様子である。
郵便の赤自動車は絶えず裏口から出ている。
万事が簡捷《かんしょう》で、少しも手数を要せぬ。それに局員が勤勉で無造作である。
私はこのバラック建の中央郵便局が好きである。たま/\現在の局員が皆いい人なのかも知れぬが、そればかりでもあるまい。
前へ
次へ
全49ページ中39ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
高浜 虚子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング