靴のよごれを気にした。
「頼朝」と題する新作物(それはたしかには覚えぬ。或は間違っているかも知れん。)は余り面白くもなかったが、それでも美しい建築と、大がかりの舞台装置とは人目をひいた。
爾来《じらい》毎月案内を受けて、殆ど毎回のように私はこの帝劇を見物している。そうして梅幸や宗十郎などが漸く老いて、その梅幸の子の栄三郎や宗十郎の子の高助や田之助が一人前の役者になっているのを見た。鈴木徳子はいつの間にやら舞台から消えて沢村宗之助の女房になっていることも知った。そうしてその宗之助や栄三郎が早く鬼籍に入った事も知った。その宗之助と徳子の間に出来た新しい宗之助の子方もはや屡々《しばしば》見た。
外の芝居は余り見ないが、ただ帝劇だけはよく見る。そうして毎回見ている時には、多少の興味を覚えるが、一旦そこを出て表に立つと、今何を見ておったのかさえもう覚えておらぬ。ただ眼が疲労して痛みを感ずるばかりである。そうして自動車に脅かされながら、漸く有楽町駅にたどりつくのである。
翁の像
京阪地方から上京する旅客は、横浜を過ぎて大森あたりから、漸く帝都に近くなったという感じがするであろう。
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