いる部屋がある。そこの事務員はまだ誰も来ないものと見える。
 隣室にはタイプライターを打つ音が響きはじめる。
 中庭を隔てて向う側のある部屋の窓には人顔がうつる。そこは昼間でも明るく電灯をとぼしている歯医者である。椅子にもたれて歯の治療を受けているものがある。医療器械を掃除している女の助手がある。
 その上の部屋の窓はカーテンが下りたままになっている。そこは球突きである。朝遅いのも道理である。

    能舞台

 丸ビルの廊下は人通りが多い。この廊下は往来も同じことである。人々は勝手に往来することが出来る。寄付を強要するもの、無心をいいに来るものなどが、それ等の人々の中に交っている。一時、『あめを買って下さい。』といって来る朝鮮人がよくあったが、この頃は余り見ない。
『ネクタイは入りませんか。』といって来る女学生のような服装をした物売りがよく来る。それに何々写真帖とかいうものを買わんかといってはいって来る洋服の紳士?がある。国粋何々会の会長と名乗る長髪の恐ろしい人も来る。それにわがホトトギス発行所に特別な訪問客が来る。一時は七、八人の来客が詰めかけて(それが各々違った種類の来客で)応
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