さ、一人か」
 と、気がついたふうに、それから廊下をへだてた、まだ夜業をしている工場の方へ、大声でどなった。
「安雄ッ、武ちゃん――」
 よばれた二人の文選工が、まだよごれ手のまま、ボンヤリはいってくると、
「お前たち、もう今夜はいいから、ポスターをてつだいなさい」
 と、あごでしゃくった。武ちゃんも、安雄も三吉とは知っている組合員であったが、主人の方にだけ気をとられている。
「ずッと、家へもどっていい、夜業は三時間につけとくから」
 のりバケツとポスターの束をかかえて、外へでるとき、主人にそういわれると、二人はていねいにおじぎしている。
「オーイ」
 古藤の下宿の下を通るとき、三吉はどなってみたが返事がなかった。あかるい二階の障子窓から、マンドリンをひっかきながら、外国語の歌をうたっている古藤の声や、福原や、浅川のわらい声が、ずッとちがった、遠くの世界からのようにきこえていた。


   三

「社会問題大演説会」は、ひどく不人気だった。――高島貞喜は、学生たちが停車場から伴ってきたが、黒い詰襟《つめえり》の学生服を着、ハンチングをかぶった小男は、ふとい鼻柱の、ひやけした黒い顔に、ま
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