まいてゆき、小野も、三吉も、五高の学生たちも、また専売局の友愛会支部の連中も、革命が気分的であるかぎり一致することが出来ていた。ところが東京から「ボル」がいちはやく五高の学生に流れこんでくると、裂けめがおこった。「前衛」とか「種蒔く人」とか、赤い旗の表紙の雑誌が五高の連中から流れこんでくると、小野のところには「自由」という黒い旗の表紙が流れこんできた。三吉はどっちも読んだが、よくはわからなかった。わかるのは小野の性格の厭《いや》なところが、まるでそこだけつつきだされるように、きわだって現われてきたことであった。
小野は三吉より三つ年上で、郵便配達夫、煙草《たばこ》職工、中年から文選工になった男で、小学三年までで、図書館で独学し、大正七年の米暴動の年に、津田や三吉をひきいて「熊本文芸思想青年会」を独自に起した、地方には珍らしい人物であった。三吉は彼にクロポトキンを教えられ、ロシア文学もフランス文学も教えられた。土地の新聞の文芸欄を舞台にして、彼の独特な文章は、熊本の歌つくりやトルストイアンどもをふるえあがらせた。五尺たらずで、胃病もちで、しなびた小さい顔にいつも鼻じわよせながら、ニヤリ
前へ
次へ
全39ページ中20ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
徳永 直 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング