それをもう本もみないでラクに英語で喋べるのであった。私は英語はよめないが、国語が得意だったし、お話が比較的上手だったから、先生がえらんだろうと思う。話の筋をよく暗記しておいて、林が一《ひ》と区切りする毎《ごと》に、私も本を見ないで通訳をした。
 学芸大会では拍手|喝采《かっさい》だった。各小学校の校長先生たちや、郡長さん始め、県の役人なども沢山《たくさん》いるところで、私たちは非常に面目をほどこしてから、受持の先生に引率されて帰ってきたが、それから林と私はますます仲良しになった。
 あるとき林の家へいって遊んでると、林が大きな写真帳をもってきて、私にみせたことがある。それはハワイの写真で、汽船が沢山ならんでいる海の景色や、白い洋服を着てヘルメット帽をかぶった紳士やがあった。その紳士は林のお父さんで、紳士のたっているうしろの西洋建物の、英語の看板のかかった商店が、林の生れたハワイの家だということであった。
「ぼくが生れないずッとまえ、お父さんもお母さんも、労働者だったんだよ」
 林はそう言って、また写真帳の他のところをめくってみせた。そこには、洋服は洋服だが、椰子《やし》の木の生えたひろ
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