的な努力をもってすれば、現在日本劇壇の中堅を形づくる最も優秀な俳優の一団を、この程度の小康に安んぜしめなかったに相違ないのであるが、自由劇場の再興と築地小劇場の新運動とを秤にかけてみれば、後者において前者に数倍する文化的使命が見出されるのはもちろんであろう。
 アントワアヌやオットオ・ブラアムの創始したヨーロッパの自由劇場運動も、今日では遠い演劇史的事実となった。ウィウ・コロンビエを閉鎖したジャック・コポオも、今は辺陬《へんしゅう》の地にあってコメヂア・デラルテの研究に没頭しているそうである。一時ドイツ劇壇に覇を唱えたラインハルトも、ついに新興芸術たる映画に膝を屈した。かつて先生の師事せられたスタニスラウスキイの一座も、現在の労農劇界においては右翼的高踏的なアカデミカル・シアタアとして、その功績を回顧的に論ぜられがちである。その間にあって、ひとり小山内先生のみは、「検察官」を「桜の園」を「どん底」を、「海戦」を「夜」を「空気饅頭」を「マンダアト」を上演した築地小劇場の主宰者として、日本における最もラヂカルな劇場人[#「劇場人」に傍点]としての苦悩に充ちた体験を、最後まで味わいつくされた
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