大正八年の帝劇における「信仰」同十一年の本郷座における「夜の宿」の部分的上演をもって、一たん中絶したかの観がある。しかし七草会の「俊寛」「忠義」「第一の世界」も、その後の「オセロ」「シイザア」「森有礼」「西山物語」「金玉均」も、また先生の最後の筆になる「毛剃」の改作も、広義に解釈すれば自由劇場の延長であり継続であって、日本劇界の進展が、大劇場の普通興行に新劇系統の作品を包容する機運を作るに及んで、自由劇場は試演劇団としての過去の形態を失うにいたったと観ることができよう。ただ創立当時の革新的意義と叛逆的使命とは、その後の活動に期待することができなかったが、これは左団次以下、同劇団の名において結束した俳優が、商業劇場の興行政策に掣肘せられるの余儀なきにいたった結果であって、かつて先生の指導鞭撻を受けた猿之助が、その現在の環境にあってなおかつ、満々たる野心をもって旧劇界の局面打開に努力しつつあるのはもちろん、高島屋一門の「修善寺物語」から「文覚」にいたる松莚戯曲の演技的完成にしても、その功の一半を、自由劇場時代に受けた訓練の賜物として、先生に譲らなければならないと思う。しかし小山内先生の全身
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