のである。もちろん、現在の資本主義社会機構のもとにおける新劇常設館としての築地小劇場が、その活動範囲ないし演目選定方針において、ただちに一部左翼的な演劇理論家を満足せしめるようなポリチカル・シアタアとしての傾向を帯びなかったとしても、これらの左翼理論家の痛罵を浴びながら、なおかつ、隠忍自重して多難な新劇劇場の経営に努力し、他日の大成に資すべき幾本かの貴重な杙《くい》を打って行かれたところに、先生の劇場人としての現実的な悩みと偉大な感情と意志とがあることを、誰が拒み得よう。ことに改築後の第二期運動における主事としての活躍は、熱情そのものの結晶であって、あるいはこれが近来とかく薬餌《やくじ》に親しまれる機会の多かった先生の死期を早めたのではないかとさえ考えられる。
小山内先生を失ったことは、近時ようやく発展向上の途に向いつつあった築地小劇場の最も大きな損失であるが、しかし先生はわれわれに内外の名作四十五篇(共同演出を含めて)の権威ある演出を遺産として残された。築地小劇場は、おそらく今後も、その重要ないくつかの舞台を、小山内先生演出の名のもとに再演するであろう。あたかもこれは、ラインハルト
前へ
次へ
全6ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
久保 栄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング