しちゃ大変だ、師匠を誘って、何時《いつ》もの、砂糖問屋の越前屋さんへ行くことにしてあると話すと、今度ァ越前屋の出戻りの娘さんも、清元の相弟子だから、怪しいと、ヤに因縁を付けて嫉妬立てるし、今夜は、咽《のど》ッ風邪で熱があって苦しいのだから、家に居て看病して呉れる位の真情《じつ》が有りそうなものだとか厭味らしく抜かす。締めようとする帯を、引奪《ひったく》ったから此方もカッとして殴り倒して大急ぎで飛出して、直に越前屋へ行きました。エエ、火事だと言われた時には、越前屋でラジオを聞いてたのです。決して間違ったことは致しません。其手拭は、確に自宅《うち》のです。出掛る前には何処にあったか、覚えは在りません。
 保険は去年の暮に、以前横浜で懇意にして居た男が、勧誘員になって訪ねて来て、強《た》って這入れと勧めるから、両人共《ふたりとも》加入《はい》りました、其時、細君《おとき》が、保険をつけると殺される事があると言ったのが原因《もと》で、大喧嘩をして、お叱りを受けたことがあります。
 其手拭は、浅草の今○ので二三本ある筈です」
 是非共、要領を得ようと、署長はかなり骨を折って、多少高圧的に詰問もしたが、どうも手答が無い。
 其処へ、検事局から、山井《やまい》検事が、書記を連れて、出張して来た。

     (五)

 中肉中背、濃い眉毛と少し大き過ぎる締った口の外には特長のない、眼鏡も髯《ひげ》もなく、毬栗《いがぐり》頭で、黒の背広に鼠色《ねず》のネクタイという、誠に平凡な外貌《ようす》の山井検事が、大兵肥満で、ガッシリした、実行力に富む署長と、相対した時には、佳いコントラストを為した。
 此年若な、見立てのない青年検事を向うに立てた時、署長は思った。役目の手前だ、拠無《よんどころな》い。斯様な青二歳に何が判るかマア此方で御膳立てをしてやるから、待ちなさい。斯様な場合にいくつもいくつもぶッ突かって修業をしてから、初めて物になるんだヨと。
 腹の中で、こんなことを考えて居るのを、当の相手の検事は知ろう筈がない。署長と警部の調査報告を、平凡な顔で謹聴して、一句も洩さず頭に入れる。所々で、ハアハアと謙遜な相の手を挟んだ。
 報告が、一と通り済むと、夫では現場へ廻りましょうと座を立った。
 屍体を巨細《こさい》に視た上、煤けた部分を払わせて、熟々《つくづく》と眺めて居た山井検事は、更に頸の部分、手拭の巻きつけてある工合や、頸に喰い込んでる有様等、詳細に観察した後、二三の質問を、警察医に発した。次に現場の踏査に移り、慎重に視察した揚句、署長にそう言って屍体のあった周囲《まわり》二メートル平方の広袤《ひろさ》を、充分に灰を篩《ふる》わせた。
「此屍体は、大学へ送って解剖に附することに仕ましょう。何《いず》れ明日に廻りましょうナ」
 署長の井澤《いざわ》さんは得々然《きをよく》して、
「マア此事件も大事《おおごと》にならずに済み相ですネ、犯人が、手拭が自宅の物だと自白はして居るし……」
「井澤さん、大事にならずに済み相だ事は私も同感ですが、犯人[#「犯人」に傍点]とか自白[#「自白」に傍点]とか云うのは如何ですか。夫れは此焼けた屍体が、他殺だと決った場合でしょう、今では、勝次郎が承認[#「勝次郎が承認」に傍点]したと云うべきでしょう」
「エッ之が他殺じゃ無いかも知れんと云われますか?」
「確定は解剖の結果に俟《ま》たなくては成らないが、今私一個の推定《かんがえ》では、他殺では無さ相です」
「ジャ自殺ですか」
「自殺とも思いません」
「そ、そんな、之丈証拠が揃って……」
「イエ、小生《わたし》は他殺でもなく自殺でも無い[#「他殺でもなく自殺でも無い」に傍点]、変死と思います、過失の為の火傷死でしょう。
 小生の左様《そう》考える訳は、屍体は煤や灰で、ひどく汚れて居るが、之を綺麗に払拭《はら》って視ると、肌の色が、屍体と思われないほど、鮮紅色《あかみ》がかって紅光灼々《つやつや》として居ることだ。
 色合の佳い屍体を視たら、先ずチャン化合物中毒か、一酸化炭素中毒を考えろと、法医学は教えて居ます。烟にまかれて死ぬのは、不完全燃焼で出来る一酸化炭素を、肺に吸込んで[#「肺に吸込んで」に傍点]其中毒で死ぬので、已《すで》に呼吸《いき》の無い屍体を、烟や火の中に抛り込んでも、此中毒は起しません。
 尚《また》、其外に、俯向《うつむけ》になって居る上面、即ち背中や腰の部分に、火傷で剥《む》けた所がありますネ、其地肌に暗褐色の網目形が見えます。之は小血管に血が充ちた儘で焼け固まった[#「血が充ちた儘で焼け固まった」に傍点]結果です、屍体の焼けたのでは、血の下方《した》に降沈《さが》った面には、有りますが、上ッ面には生《で》きない相です。
 私の推察が当ってるとすれば明
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