燔ヤ《(まま)》なのを気が付かないで。
船は衝突《あた》つた、世に不可思議なフロリダ州
人の肌膚《はだへ》の豹の目は叢《むら》なす花にいりまじり、
手綱の如く張りつめた虹は遥かの沖の方
海緑色の畜群に、いりまじる。
私は見た、沼かと紛《まが》ふ巨大な魚梁《やな》が沸き返るのを
其処にレヴィヤタンの一族は草に絡まり腐りゆき、
凪《(なぎ)》の中心《もなか》に海水は流れいそそぎ
遠方《をちかた》は淵を目がけて滝となる!
氷河、白銀の太陽、真珠の波、燠《(おき)》の空、
褐色の入江の底にぞつとする破船の残骸、
其処に大きな蛇は虫にくはれて
くねくねの木々の枝よりどす黒い臭気をあげては堕ちてゐた!
子供等に見せたかつたよ、碧波《あをなみ》に浮いてゐる鯛、
其の他金色の魚、歌ふ魚、
※[#「さんずい+區」、第3水準1−87−4]の花は私の漂流を祝福し、
えもいへぬ風は折々私を煽《おだ》てた。
時として地極と地帯に飽き果てた殉教者・海は
その歔欷《すすりなき》でもつて私をあやし、
黄色い吸口のある仄暗い花をばかざした
その時私は膝つく女のやうであつた
半島はわが船近く揺らぎつつ金褐の目の
怪鳥の糞と争ひを振り落とす、
かくてまた漂ひゆけば、わが細綱を横切つて
水死人の幾人か後方《しりへ》にと流れて行つた……
私としてからが浦々の乱れた髪に踏み迷ひ
鳥も棲まはぬ気圏《そら》までも颶風《(ぐふう)》によつて投げられたらば
海防艦《モニトル》もハンザの船も
水に酔つた私の屍骸《むくろ》を救つてくれはしないであらう、
思ひのままに、煙吹き、紫色の霧立てて、
私は、詩人等に美味しいジャミや、
太陽の蘇苔《こけ》や青空の鼻涕《はな》を呉れる
壁のやうに赤らんだ空の中をずんずん進んだ、
電気と閃く星を著け、
黒い海馬に衛《まも》られて、狂へる小舟は走つてゐた、
七月が、丸太ン棒で打つかとばかり
燃える漏斗のかたちした紺青の空を揺るがせた時、
私は慄へてゐた、五十里の彼方にて
ベヘモと渦潮《うづ》の発情の気色《けはひ》がすると、
ああ永遠に、青き不動を紡ぐ海よ、
昔ながらの欄干に倚《(よ)》る欧羅巴《(ヨーロッパ)》が私は恋しいよ。
私は見た! 天にある群島を! その島々の
狂ほしいまでのその空は漂流《ただよ》ふ者に開放されてた、
底知れぬこんな夜々には眠つてゐるのか、もう居ないのか
おゝ、百万の金の鳥、当来の精力よ!
だが、惟《(おも)》へば私は哭《(な)》き過ぎた。曙は胸|抉《ゑぐ》り、
月はおどろしく陽はにがかつた。
どぎつい愛は心|蕩《とろ》かす失神で私をひどく緊《し》めつけた。
おゝ! 竜骨も砕けるがよい、私は海に没してしまはう!
よし今私が欧羅巴の水を望むとしても、それははや
黒い冷たい林の中の瀦水《いけみづ》で、其処に風薫る夕まぐれ
子供は蹲《(しやが)》んで悲しみで一杯になつて、放つのだ
五月の蝶かといたいけな笹小舟。
あゝ浪よ、ひとたびおまへの倦怠にたゆたつては、
綿船《わたぶね》の水脈《みを》ひく跡を奪ひもならず、
旗と炎の驕慢を横切《よぎ》りもならず、
船橋の、恐ろしい眼の下をかいくぐることも、出来ないこつた。
[#改ページ]
虱捜す女
嬰児の額が、赤い憤気《むづき》に充ちて来て、
なんとなく、夢の真白の群がりを乞うてゐるとき、
美しい二人の処女《をとめ》は、その臥床辺《ふしどべ》に現れる、
細指の、その爪は白銀の色をしてゐる。
花々の乱れに青い風あたる大きな窓辺に、
二人はその子を坐らせる、そして
露|滴《しづ》くふさふさのその子の髪に
無気味なほども美しい細い指をばさまよはす。
さて子供《かれ》は聴く気づかはしげな薔薇色のしめやかな蜜の匂ひの
するやうな二人の息《いき》が、うたふのを、
唇にうかぶ唾液か接唇《(くちづけ)》を求める慾か
ともすればそのうたは杜切れたりする。
子供《かれ》は感じる処女《をとめ》らの黒い睫毛《(まつげ)》がにほやかな雰気《けはひ》の中で
まばたくを、また敏捷《すばしこ》いやさ指が、
鈍色《にびいろ》の懶怠《たゆみ》の裡《うち》に、あでやかな爪の間で
虱を潰す音を聞く。
たちまちに懶怠《たゆみ》の酒は子供の脳にのぼりくる、
有頂天になりもやせんハモニカの溜息か。
子供は感ずる、ゆるやかな愛撫につれて、
絶え間なく泣きたい気持が絶え間なく消長するのを。
[#改ページ]
母音
Aは黒、Eは白、Iは赤、Uは緑、Oは赤、母音たち、
おまへたちの穏密な誕生をいつの日か私は語らう。
A、眩ゆいやうな蠅たちの毛むくぢやらの黒い胸衣《むなぎ》は
むごたらしい悪臭の周囲を飛びまはる、暗い入江。
E、蒸気や天幕《テント》のはたゝめき、誇りかに
槍の形をした氷塊、真白の諸王、繖形花顫動《(さんけいくわせんどう)》、
I、緋色の布、飛散《とばち》つた血、怒りやまた
熱烈な悔悛に於けるみごとな笑ひ。
U、循環期、鮮緑の海の聖なる身慄ひ、
動物散在する牧養地の静けさ、錬金術が
学者の額に刻み付けた皺の静けさ。
O、至上な喇叭《(らつぱ)》の異様にも突裂《つんざ》く叫び、
人の世と天使の世界を貫く沈黙。
――その目紫の光を放つ、物の終末!
[#改ページ]
四行詩
星は汝が耳の核心に薔薇色に涕《(な)》き、
無限は汝《な》が頸《うなじ》より腰にかけてぞ真白に巡る、
海は朱《あけ》き汝《なれ》が乳房を褐色《かちいろ》の真珠とはなし、
して人は黒き血ながす至高の汝《なれ》が脇腹の上……
[#改ページ]
烏
神よ、牧場が寒い時、
さびれすがれた村々に
御告《みつげ》の鐘も鳴りやんで
見渡すかぎり花もない時、
高い空から降《お》ろして下さい
あのなつかしい烏たち。
厳《いか》しい叫びの奇妙な部隊よ、
木枯は、君等の巣《ねぐら》を襲撃し!
君等黄ばんだ河添ひに、
古い十字架立つてる路に、
溝に窪地に、
飛び散れよ、あざ嗤《(わら)》へ!
幾千となくフランスの野に
昨日の死者が眠れる其処に、
冬よ、ゆつくりとどまるがよい、
通行人《とほるひと》等がしむみりせんため!
君等|義務《つとめ》の叫び手となれ、
おゝわが喪服の鳥たちよ!
だが、あゝ御空《みそら》の聖人たちよ、夕暮迫る檣《マスト》のやうな
※[#「木+解」、第3水準1−86−22]《(かし)》の高みにゐる御身たち、
五月の頬白見逃してやれよ
あれら森の深みに繋がれ、
出ること叶はず草地に縛られ、
しよ[#「よ」に「ママ」の注記]うこともない輩《ともがら》のため!
[#改丁]
[#ページの左右中央]
飾画篇
[#改ページ]
静寂
アカシヤのほとり、
波羅門《(バラモン)》僧の如く聴け。
四月に、櫂は
鮮緑よ!
きれいな靄《(もや)》の中にして
フ※[#小書き片仮名ヱ、104−7]ベの方《かた》に! みるべしな
頭の貌《かたち》が動いてる
昔の聖者の頭のかたち……
明るい藁塚はた岬、
うつくし甍《(いらか)》をとほざけて
媚薬《びやく》取り出しこころみし
このましきかな古代|人《びと》……
さてもかの、
夜《よる》の吐き出す濃い霧は
祭でもなし
星でなし。
しかすがに彼等とどまる
――シシリーやアルマーニュ、
かの蒼ざめ愁《かな》しい霧の中《うち》、
粛として!
[#改ページ]
涙
鳥たちと畜群と、村人達から遐《(とほ)》く離れて、
私はとある叢林の中に、蹲《(しやが)》んで酒を酌んでゐた
榛《(はしばみ)》の、やさしい森に繞られて。
生ツぽい、微温の午後は霧がしてゐた。
かのいたいけなオワズの川、声なき小楡《(こにれ)》、花なき芝生、
垂れ罩《(こ)》めた空から私が酌んだのは――
瓢《ひさご》の中から酌めたのは、味もそつけもありはせぬ
徒《(いたづら)》に汗をかゝせる金の液。
かくて私は旅籠屋《はたごや》の、ボロ看板となつたのだ。
やがて嵐は空を変へ、暗くした。
黒い国々、湖水々々《みづうみみづうみ》、竿や棒、
はては清夜の列柱か、数々の船著場か。
樹々の雨水《あめみづ》砂に滲《し》み
風は空から氷片を、泥池めがけてぶつつけた……
あゝ、金、貝甲の採集人かなんぞのやうに、
私には、酒なぞほんにどうでもよいと申しませう。
[#改ページ]
カシスの川
カシスの川は何にも知らずに流れる
異様な谷間を、
百羽の烏が声もて伴《つ》れ添ふ……
ほんによい天使の川波、
樅の林の大きい所作に、
沢山の風がくぐもる時。
すべては流れる、昔の田舎や
訪はれた牙塔や威儀張つた公園の
抗《あらが》ふ神秘とともに流れる。
彷徨《(さまよ)》へる騎士の今は亡き情熱も、
此の附近《あたり》にして人は解する。
それにしてもだ、風の爽かなこと!
飛脚は矢来に何を見るとも
なほも往くだらう元気に元気に。
領主が遣はした森の士卒か、
烏、おまへのやさしい心根《こころね》!
古い木片《きぎれ》で乾杯をする
狡獪な農夫は此処より立去れ。
[#改ページ]
朝の思ひ
夏の朝、四時、
愛の睡気がなほも漂ふ
木立の下。東天は吐き出だしてゐる
楽しい夕べのかのかをり。
だが、彼方《かなた》、エスペリイドの太陽の方《かた》、
大いなる工作場では、
シャツ一枚の大工の腕が
もう動いてゐる。
荒寥たるその仕事場で、冷静な、
彼等は豪奢な屋敷の準備《こしらへ》
あでやかな空の下にて微笑せん
都市の富貴の下準備《したごしらへ》。
おゝ、これら嬉しい職人のため
バビロン王の臣下のために、
※[#濁点付き片仮名ヱ、1−7−84]ニュスよ、偶には打棄《うつちや》るがいい
心|驕《(おご)》れる愛人達を。
おゝ、牧人等の女王様!
彼等に酒をお与へなされ
正午《ひる》、海水を浴びるまで
彼等の力が平静に、持ちこたへられますやうに。
[#改ページ]
ミシェルとクリスチイヌ
馬鹿な、太陽が軌道を外《はづ》れるなんて!
失せろ、洪水! 路々の影を見ろ。
柳の中や名誉の古庭の中だぞ、
雷雨が先づ大きい雨滴をぶつけるのは。
おゝ、百の仔羊よ、牧歌の中の金髪兵士達よ、
水路橋よ、痩衰へた灌木林よ、
失せろ! 平野も沙漠も牧野も地平線も
雷雨の真ツ赤な化粧《おめかし》だ!
黒犬よ、マントにくるまつた褐色の牧師よ、
目覚ましい稲妻の時を逃れよ。
ブロンドの畜群よ、影と硫黄が漂ふ時には、
ひそかな私室に引籠るがよい。
だがあゝ神様! 私の精神は翔《(と)》んでゆきます
赤く凍つた空を追うて、
レールと長いソローニュの上を
飛び駆ける空の雲の、その真下を。
見よ、千の狼、千の蛮民を
まんざらでもなささうに、
信仰風な雷雨の午後は
漂流民の見られるだらう古代欧羅巴に伴《(つ)》れてゆく!
さてその後刻《あと》には月明の晩! 曠野の限りを、
赤らむだ額を夜空の下に、戦士達
蒼ざめた馬を徐《(しづ)》かに進める!
小石はこの泰然たる隊の足下で音立てる。
――さて黄色い森を明るい谷間を、
碧い眼《め》の嫁を、赤い額の男を、それよゴールの国を、
さては可愛いい足の踰越《すぎこし》祭の白い仔羊を、
ミシェルとクリスチイヌを、キリストを、牧歌の極限を私は想ふ!
[#改ページ]
渇の喜劇
※[#ローマ数字1、1−13−21]
祖先《みおや》
私《わし》達はおまへの祖先《みおや》だ、
祖先《みおや》だよ!
月や青物の
冷《ひや》こい汁にしとど濡れ。
私達《わしたち》の粗末なお酒は心を持つてゐましたぞ!
お日様に向つて嘘偽《うそいつはり》のないためには
人間何が必要か? 飲むこつてす。
小生。――野花の上にて息絶ゆること。
私《わし》達はおまへの祖先《みおや》だ、
田園に棲む。
ごらん、柳のむかふを水は、
湿つたお城のぐるりをめぐつて
ずうつと流れてゐるでせう。
さ、酒倉へ行きますよ、
林檎酒《シイドル
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