ランボオ詩集
OEVRES D'ARTHUR RIMBAUD
ジャン・ニコラ・アルチュール・ランボー Jean Nicolas Arthur Rimbaud
中原中也訳

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)臑《(すね)》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)麦穂|臑《(すね)》刺す

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「木+解」、第3水準1−86−22]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)むツく/\
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[#ページの左右中央]
     初期詩篇
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 感動


私はゆかう、夏の青き宵は
麦穂|臑《(すね)》刺す小径の上に、小草《をぐさ》を蹈みに
夢想家・私は私の足に、爽々《(すがすが)》しさのつたふを覚え、
吹く風に思ふさま、私の頭をなぶらすだらう!

私は語りも、考へもしまい、だが
果てなき愛は心の裡《うち》に、浮びも来よう
私は往かう、遠く遠くボヘミヤンのやう
天地の間を、女と伴れだつやうに幸福に。
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 フォーヌの頭


緑金に光る葉繁みの中に、
接唇《くちづけ》が眠る大きい花咲く
けぶるがやうな葉繁みの中に
活々として、佳き刺繍《ぬひとり》をだいなしにして

ふらふらフォーヌが二つの目を出し
その皓《(しろ)》い歯で真紅《まつか》な花を咬んでゐる。
古酒と血に染み、朱《あけ》に浸され、
その唇は笑ひに開く、枝々の下。

と、逃げ隠れた――まるで栗鼠、――
彼の笑ひはまだ葉に揺らぎ
鷽《(うそ)》のゐて、沈思の森の金の接唇《くちづけ》
掻きさやがすを、われは見る。
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 びつくりした奴等


雪の中、濃霧の中の黒ン坊か
炎のみゆる気孔の前に、
   奴等|車座《くるまざ》

跪《(ひざま)》づき、五人の小童《こわつぱ》――あなあはれ!――
ジツと見てゐる、麺麭《(パン)》屋が焼くのを
   ふつくらとした金褐の麺麭、

奴等見てゐるその白い頑丈な腕が
粘粉《ねりこ》でつちて窯《(かま)》に入れるを
   燃ゆる窯の穴の中。

奴等聴くのだいい麺麭の焼ける音。
ニタニタ顔の麺麭屋殿には
   古い節《ふし》なぞ唸つてる。

奴等まるまり、身動きもせぬ、
真ツ赤な気孔の息吹《いぶき》の前に
   胸かと熱い息吹の前に。

メディオノーシュ(1)に、
ブリオーシュ(2)にして
   麺麭を売り出すその時に、

煤けた大きい梁の下にて、
蟋蟀《(こほろぎ)》と、出来たての
   麺麭の皮とが唄《(うた)》ふ時、

窯の息吹ぞ命を煽り、
襤褸《(ぼろ)》の下にて奴等の心は
うつとりするのだ、此の上もなく、

奴等今更生甲斐感じる、
氷花に充ちた哀れな基督《エス》たち、
   どいつもこいつも

窯の格子に、鼻面《はなづら》くつつけ、
中に見えてる色んなものに
   ぶつくさつぶやく、

なんと阿呆らし奴等は祈る
霽《(は)》れたる空の光の方へ
   ひどく体《からだ》を捩じ枉《(ま)》げて

それで奴等の股引は裂け
それで奴等の肌襦絆
   冬の風にはふるふのだ。

  註(1)断肉日の最終日にとる食事。
   (2)パンケーキの一種。
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 谷間の睡眠者


これは緑の窪、其処に小川は
銀のつづれを小草《をぐさ》にひつかけ、
其処に陽は、矜《(ほこ)》りかな山の上から
顔を出す、泡立つ光の小さな谷間。

若い兵卒、口を開《あ》き、頭は露《む》き出し
頸は露けき草に埋まり、
眠つてる、草ン中に倒れてゐるんだ雲《そら》の下《もと》、
蒼ざめて。陽光《ひかり》はそそぐ緑の寝床に。

両足を、水仙菖《(すゐせんあやめ)》に突つ込んで、眠つてる、微笑むで、
病児の如く微笑んで、夢に入つてる。
自然よ、彼をあつためろ、彼は寒い!

いかな香気も彼の鼻腔にひびきなく、
陽光《ひかり》の中にて彼眠る、片手を静かな胸に置き、
見れば二つの血の孔《あな》が、右脇腹に開《あ》いてゐる。
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 食器戸棚


これは彫物《ほりもの》のある大きい食器戸棚
古き代の佳い趣味《あぢ》あつめてほのかな※[#「木+解」、第3水準1−86−22]材《(かし)》。
食器戸棚は開かれてけはひの中に浸つてゐる、
古酒の波、心惹くかをりのやうに。

満ちてゐるのは、ぼろぼろの古物《こぶつ》、
黄ばんでプンとする下着類だの小切布《こぎれ》だの、
女物あり子供物、さては萎んだレースだの、
禿鷹の模様の描《か》かれた祖母《ばあさん》の肩掛もある。

探せば出ても来るだらう恋の形見や、白いのや
金褐色の髪の束《たば》、肖顔《にがほ》や枯れた花々や
それのかをりは果物《くだもの》のかをりによくは混じります。

おゝいと古い食器戸棚よ、おまへは知つてる沢山の話!
おまへはそれを話したい、おまへはそれをささやくか
徐《(しづ)》かにも、その黒い大きい扉が開く時。
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 わが放浪


私は出掛けた、手をポケットに突つ込んで。
半外套は申し分なし。
私は歩いた、夜天の下を、ミューズよ、私は忠僕でした。
さても私の夢みた愛の、なんと壮観だつたこと!

独特の、わがズボンには穴が開《あ》いてた。
小さな夢想家・わたくしは、道中韻をば捻つてた。
わが宿は、大熊星座。大熊星座の星々は、
やさしくささやきささめいてゐた。

そのささやきを路傍《みちばた》に、腰を下ろして聴いてゐた
あゝかの九月の宵々よ、酒かとばかり
額《ひたひ》には、露の滴《しづく》を感じてた。

幻想的な物影の、中で韻をば踏んでゐた、
擦り剥けた、私の靴のゴム紐を、足を胸まで突き上げて、
竪琴《(たてごと)》みたいに弾きながら。
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 蹲踞


やがてして、兄貴カロチュス、胃に不愉快を覚ゆるに、
軒窗に一眼《いちがん》ありて其れよりぞ
磨かれし大鍋ごとき陽の光
偏頭痛さへ惹起《ひきおこ》し、眼《まなこ》どろんとさせるにぞ、
そのでぶでぶのお腹《なか》をば布団の中にと運びます。

ごそごそと、灰色の布団の中で大騒ぎ、
獲物《えもの》啖《(く)》つたる年寄さながら驚いて、
ぼてぼての腹に膝をば当てまする。
なぜかなら、拳《こぶし》を壺の柄と枉《(ま)》げて、
肌着をばたつぷり腰までまくるため!

ところで彼氏|蹲《しやが》みます、寒がつて、足の指をば
ちぢかめて、麺麭《(パン)》の黄を薄い硝子に被《き》せかける
明るい日向にかぢかむで。
扨《(さて)》お人好し氏の鼻こそは仮漆《ラツク》と光り、
肉出来の珊瑚樹かとも、射し入る陽光《ひかり》を厭ひます。

     ★

お人好し氏は漫火《とろび》にあたる。腕拱み合せ、下唇を
だらりと垂らし。彼氏今にも火中に滑り、
ズボンを焦し、パイプは消ゆると感ずなり。
何か小鳥のやうなるものは、少しく動く
そのうららかなお腹《なか》でもつて、ちよいと臓物みたいなふうに!

四辺《あたり》では、使ひ古るした家具等の睡り。
垢じみた襤褸《ぼろ》の中にて、穢《けが》らはし壁の前にて、
腰掛や奇妙な寝椅子等、暗い四隅《よすみ》に
蹲《(うづく)》まる。食器戸棚はあくどい慾に
満ちた睡気をのぞかせる歌手《うたひて》達の口を有《(も)》つ

いやな熱気は手狭《てぜま》な部屋を立ち罩《こ》める。
お人好し氏の頭の中は、襤褸布《ぼろきれ》で一杯で、
硬毛《こはげ》は湿つた皮膚の中にて、突つ張るやうで、
時あつて、猛烈|可笑《(をか)》しい嚏《(くさめ)》も出れば、
がたがたの彼氏の寝椅子はゆれまする……

     ★

その宵、彼氏のお臀《しり》のまはりに、月光が
光で出来た鋳物の接合線《つぎめ》を作る時、よく見れば
入り組んだ影こそ蹲《しやが》んだ彼氏にて、薔薇色の
雪の配景のその前に、たち葵《(あふひ)》かと……
面白や、空の奥まで、面《つら》はヴィーナス追つかける。
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 坐つた奴等


肉瘤《こぶ》で黒くて痘瘡《あばた》あり、緑《あを》い指環を嵌めたよなその眼《まなこ》、
すくむだ指は腰骨のあたりにしよむぼりちぢかむで、
古壁に、漲る瘡蓋《かさぶた》模様のやうに、前頭部には、
ぼんやりとした、気六ヶ敷さを貼り付けて。

恐ろしく夢中な恋のその時に、彼等は可笑しな体躯《からだ》をば、
彼等の椅子の、黒い大きい骨組に接木《つぎき》したのでありました。
枉がつた木杭さながらの彼等の足は、夜《よる》となく
昼となく組み合はされてはをりまする!

これら老爺《ぢぢい》は何時もかも、椅子に腰掛け編物し、
強い日射しがチクチクと皮膚を刺すのを感じます、
そんな時、雪が硝子にしぼむよな、彼等のお眼《めめ》は
蟇《ひきがへる》の、いたはし顫動《ふるへ》にふるひます。

さてその椅子は、彼等に甚だ親切で、褐《かち》に燻《いぶ》され、
詰藁は、彼等のお尻の形《かた》なりになつてゐるのでございます。
甞て照らせし日輪は、甞ての日、その尖に穀粒さやぎし詰藁の
中にくるまり今も猶、燃《とも》つてゐるのでございます。

さて奴等、膝を立て、元気盛んなピアニスト?
十《じふ》の指《および》は椅子の下、ぱたりぱたりと弾《たた》きますれば、
かなし船唄ひたひたと、聞こえ来るよな思ひにて、
さてこそ奴等の頭《おつむり》は、恋々として横に揺れ。

さればこそ、奴等をば、起《た》たさうなぞとは思ひめさるな……
それこそは、横面《よこづら》はられた猫のやう、唸りを発し、湧き上り、
おもむろに、肩をばいからせ、おそろしや、
彼等の穿けるズボンさへ、むツく/\とふくれます。

さて彼等、禿げた頭を壁に向け、
打衝《ぶちあ》てるのが聞こえます、枉がつた足をふんばつて
彼等の服の釦《(ボタン)》こそ、鹿ノ子の色の瞳にて
それは廊下のどんづまり、みたいな眼付で睨めます。

彼等にはまた人殺す、見えないお手《てて》がありまして、
引つ込めがてには彼等の眼《め》、打たれた犬のいたいたし
眼付を想はすどす黒い、悪意を滲《にじ》み出させます。
諸君はゾツとするでせう、恐ろし漏斗に吸込まれたかと。

再び坐れば、汚ないカフスに半ば隠れた拳固《げんこ》して、
起《た》たさうとした人のこと、とつくり思ひめぐらします。
と、貧しげな顎の下、夕映《ゆふばえ》や、扁桃腺の色をして、
ぐるりぐるりと、ハチきれさうにうごきます。

やがてして、ひどい睡気が、彼等をこつくりさせる時、
腕敷いて、彼等は夢みる、結構な椅子のこと。
ほんに可愛いい愛情もつて、お役所の立派な室《へや》に、
ずらり並んだ房の下がつた椅子のこと。

インキの泡がはねツかす、句点《コンマ》の形の花粉等は、
水仙菖の線真似る、蜻蛉《とんぼ》の飛行の如くにも
彼等のお臍のまはりにて、彼等をあやし眠らする。
――さて彼等、腕をもじ/\させまする。髭がチクチクするのです。
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 夕べの辞


私は坐りつきりだつた、理髪師の手をせる天使そのままに、
丸溝のくつきり付いたビールのコップを手に持ちて、
下腹突き出し頸反らし陶土のパイプを口にして、
まるで平《たひら》とさへみえる、荒模様なる空の下。

古き鳩舎に煮えかへる鳥糞《うんこ》の如く、
数々の夢は私の胸に燃え、徐かに焦げて。
やがて私のやさしい心は、沈欝にして生々《なま/\》し
溶《とろ》けた金のまみれつく液汁木質さながらだつた。

さて、夢を、細心もつて嚥《(の)》み下し、
身を転じ、――ビール三四十杯を飲んだので
尿意遂げんとこゝろをあつめる。

しとやかに、排香草《ヒソフ》や杉にかこまれし天主の如く、
いよ高くいよ遐《(とほ)》く、褐色の空には向けて放尿す、
――大いなる、ヘリオトロープにうべなはれ。
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 教会に来る貧乏人


臭い息《いき》にてむツとする教会の隅ツこの、
樫材《かし》の床几《(しやうぎ)》にちよ
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