アなんと、眼《め》は一斉に
てんでに丸い脣《くち》してる唱歌隊へと注がれて。さて
二十人なる唱歌隊、大声で、敬虔な讃美歌を怒鳴《どな》ります。
蝋の臭気《にほひ》を吸ひ込める麺麭の匂ひの如くにも、
なんとはや、打たれた犬と気の弱い貧乏人等が、
旦那たり我君様たる神様に、
可笑しげな、なんとも頑固な祈祷《おいのり》を捧げるのではございます。
女連《をんなれん》、滑らかな床几に坐つてまあよいことだ、
神様が、苦しめ給ふた暗い六日《むいか》のそのあとで!
彼女等あやしてをりまする、めうな綿入《わたいれ》にくるまれて
死なんばかりに泣き叫ぶ、まだいたいけな子供をば。
胸のあたりを汚してる、肉汁食《スープぐら》ひの彼女等は、
祈りするよな眼付して、祈りなんざあしませんで、
お転婆娘の一団が、いぢくりまはした帽子をかぶり、
これみよがしに振舞ふを、ジツとみつめてをりまする。
戸外には、寒気と飢餓と、而も男はぐでんぐでん。
それもよい、しかし後刻《あと》では名もない病気!
――それなのにそのまはりでは、干柿色の婆々連《ばばあれん》、
或ひは呟き、鼻声を出し、或ひはこそこそ話します。
其処にはびツくりした奴もゐる、昨日巷で人々が
避《よ》けて通つた癲癇病者《てんかん》もゐる、
古いお弥撒《みさ》の祈祷集《おいのりぼん》に、面《つら》つツ込んでる盲者《めくら》等は
犬に連れられ来たのです。
どれもこれもが間の抜けた物欲しさうな呟きで
無限の嘆きをだらだらとエス様に訴へる
エス様は、焼絵玻璃《やきゑがらす》で黄色くなつて、高い所で夢みてござる、
痩せつぽちなる悪者や、便々腹《べんべんばら》の意地悪者《いぢわる》や
肉の臭気や織物の、黴《か》びた臭《にほ》ひも知らぬげに、
いやな身振で一杯のこの年来の狂言におかまひもなく。
さてお祈りが、美辞や麗句に花咲かせ、
真言秘密の傾向が、まことしやかな調子をとる時、
日影も知らぬ脇間《わきま》では、ごくありふれた絹の襞《(ひだ)》、
峻厳さうなる微笑《ほゝゑみ》の、お屋敷町の奥さん連《れん》、
あの肝臓の病人ばらが、――おゝ神よ!――
黄色い細いその指を、聖水盤にと浸します。
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七才の詩人
母親は、宿題帖を閉ぢると、
満足して、誇らしげに立去るのであつた、
その碧い眼に、その秀でた額に、息子が
嫌悪の情を浮べてゐるのも知らないで。
ひねもす彼は、服従でうんざりしてゐた
聡明な彼、だがあのいやな顔面痙※[#「てへん+畜」、第3水準1−84−85]患つてをり、
その目鼻立ちの何処となく、ひどい偽嬌を見せてゐた。
壁紙が、黴びつた廊下の暗がりを
通る時には、股のつけ根に拳《こぶし》をあてがひ
舌をば出した、眼《めんめ》をつぶつて点々《ぼちぼち》も視た。
夕闇に向つて戸口は開いてゐた、ラムプの明りに
見れば彼、敷居の上に喘いでゐる、
屋根から落ちる天窗《(てんまど)》の明りのその下で。
夏には彼、へとへとになり、ぼんやりし、
厠《かはや》の涼気のその中に、御執心にも蟄居《(ちつきよ)》した。
彼は其処にて思念した、落付いて、鼻をスースーいはせつゝ。
様々な昼間の匂ひに洗はれて、小園が、
家の背後《うしろ》で、冬の陽光《ひかり》を浴びる時、彼は
壁の根元に打倒れ、泥灰石に塗《まみ》れつゝ
魚の切身にそつくりな、眼《め》を細くして、
汚れた壁に匍《(は)》ひ付いた、葡萄葉《ぶだうば》の、さやさやさやぐを聴いてゐた。
いたはしや! 彼の仲間ときた日には、
帽子もかぶらず色褪せた眼《め》をした哀れな奴ばかり、
市場とばかりぢぢむさい匂ひを放《あ》げる着物の下に
泥に汚れて黄や黒の、痩せた指をば押し匿し、
言葉を交すその時は、白痴のやうにやさしい奴等。
この情けない有様を、偶々《(たまたま)》見付けた母親は
慄へ上つて怒気含む、すると此の子のやさしさは
その母親の驚愕に、とまれかくまれ身を投げる。
母親だつて嘘つきな、碧い眼《め》をしてゐるではないか!
七才にして、彼は砂漠の生活の物語《ロマン》を書いた。
大沙漠、其処で自由は伸び上り、
森も陽も大草原も、岸も其処では燿《かがや》いた!
彼は絵本に助けを借りた、彼は絵本を一心に見た、
其処にはスペイン人、イタリヤ人が、笑つてゐるのが見られるのだつた。
更紗《(サラサ)》模様の着物著た、お転婆の茶目の娘が来るならば、
――その娘は八才で、隣りの職人の子なのだが、
此の野放しの娘|奴《め》が、その背に編髪《おさげ》を打ゆすり、
片隅で跳ね返り、彼にとびかゝり、
彼を下敷にするといふと、彼は股《もゝ》に噛み付いた、
その娘、ズロース穿いてたことはなく、
扨、拳固でやられ、踵《かかと》で蹴られた彼は今、
娘の肌の感触を、自分の部屋まで持ち帰る。
どんよりとした十二月の、日曜日を彼は嫌ひであつた、
そんな日は、髪に油を付けまして、桃花心木《アカジユ》の円卓に着き、
縁がキャベツの色をした、バイブルを、彼は読むのでありました。
数々の夢が毎晩寝室で、彼の呼吸を締めつけた。
彼は神様を好きでなかつた、鹿ノ子の色の黄昏《たそがれ》に場末の町に、
仕事着を着た人々の影、くり出して来るのを彼は見てゐた
扨其処には東西屋がゐて、太鼓を三つ叩いては、
まはりに集る群集を、どつと笑はせ唸らせる。
彼は夢みた、やさしの牧場、其処に耀《かゞよ》ふ大浪は、
清らの香《かをり》は、金毛は、静かにうごくかとみれば
フツ飛んでゆくのでありました。
彼はとりわけ、ほのかに暗いものを愛した、
鎧戸《(よろひど)》閉めて、ガランとした部屋の中、
天井高く、湿気に傷む寒々とした部屋の中にて、
心を凝らし気を凝らし彼が物語《ロマン》を読む時は、
けだるげな石黄色の空や又湿つた森林、
霊妙の林に開く肉の花々、
心に充ちて――眩暈《めくるめき》、転落、潰乱、はた遺恨!――
かゝる間も下の方では、街の躁音《さやぎ》のこやみなく
粗布《あらぬの》重ねその上に独りごろんと寝ころべば
粗布《あらぬの》は、満々たる帆ともおもはれて!……
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盗まれた心
私の悲しい心は船尾に行つて涎《(よだれ)》を垂らす、
私の心は安い煙草にむかついてゐる。
そしてスープの吐瀉《げろ》を出す、
私の悲しい心は船尾に行つて涎を垂らす。
一緒になつてげらげら笑ふ
世間の駄洒落に打ちのめされて、
私の悲しい心は船尾に行つて涎を垂らす、
私の心は安い煙草にむかついてゐる!
諷刺詩流儀の雑兵気質の
奴等の駄洒落が私を汚した!
舵の処《とこ》には壁画が見える
諷刺詩流儀の雑兵気質の。
おゝ、玄妙不可思議の波浪よ、
私の心を浚《(さら)》ひ清めよ、
諷刺詩流儀の雑兵気質の
奴等の駄洒落が私を汚した。
奴等の噛煙草《たばこ》が尽きたとなつたら、
どうすれあいいのだ? 盗まれた心よ。
それこそ妙な具合であらうよ、
奴等の煙草が尽きたとなつたら。
私のお腹《なか》が跳び上るだらう、
それで心は奪回《かへ》せるにしても。
奴等の噛煙草《たばこ》が尽きたとなつたら、
どうすれあいいのだ? 盗まれた心よ。
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ジャンヌ・マリイの手
ジャンヌ・マリイは丈夫な手してる、
だが夏負けして仄かに暗く、
蒼白いこと死人の手のやう。
――ジュアナの手とも云ふべきだ?
この双つの手は褐の乳脂を
快楽《けらく》の池に汲んだのだらうか?
この双つの手は月きららめく
澄めらの水に浸つたものか?
太古の空を飲むだのだらうか?
可愛いお膝にちよんと置かれて。
この手で葉巻を巻いただらうか、
それともダイヤを商《あきな》つたのか?
マリアの像の熱き御足に
金の花をば萎ませたらうか?
西洋莨※[#「くさかんむり/宕」、第3水準1−91−3]《はしりどころ》の黒い血は
掌《てのひら》の中で覚めたり睡《ね》たり。
双翅類をば猟《(か)》り集め
まだ明けやらぬ晨《あした》のけはひを
花々の密[#「密」に「ママ」の注記]の槽へと飛ばすのか?
それとも毒の注射師か?
如何なる夢が捉へたのだらう?
展伸《ひろ》げられたるこの手をば、
亜細亜《(アジア)》のかカンガ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ールのか
それともシオンの不思議な夢か?
――密柑[#「密柑」に「(ママ)」の注記]を売りはしなかつた、
神々の足の上にて、日に焼けたりもしなかつた。
この手はぶざまな赤ン坊たちの
襁褓《(むつき)》を洗つたことはない。
この手は背骨《せぼね》の矯正者、
決して悪くはしないのだ、
機械なぞより正確で、
馬よりも猶強いのだ!
猛火とうごめき
戦《(をのの)》き慄ひ、この手の肉は
マルセイェーズを歌ふけれども
エレーゾンなぞ歌はない!
あらくれどもの狼藉《(らうぜき)》は
厳冬の如くこの手に応《こた》へ、
この手の甲こそ気高い暴徒が
接唇《くちづけ》をしたその場所だ!
或時この手が蒼ざめた、
蜂起した巴里《(パリ)》市中の
霰弾砲《(さんだんはう)》の唐銅《からかね》の上に
托された愛の太陽の前で!
神々しい手よ、甞てしらじらしたことのない
我等の脣《くち》を顫はせる手よ、
時としておまへは拳《こぶし》の形して、その拳《こぶし》に
一連《ひとつら》の、指環もがなと叫ぶのだ!
又時としてその指々の血を取つて、
おまへがさつぱりしたい時、
天使のやうな手よ、それこそは
我等の心に、異常な驚き捲き起すのだ。
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やさしい姉妹
若者、その眼は輝き、その皮膚は褐色《かちいろ》、
裸かにしてもみまほしきその体躯《からだ》
月の下にて崇めらる、ペルシャの国の、
或る知られざる神の持つ、銅《あかがね》に縁《ふち》どられたる額して、
慓悍《(へうかん)》なれども童貞の悲観的なるやさしさをもち
おのが秀れた執心に誇りを感じ、
若々し海かはた、ダイアモンドの地層の上に
きららめく真夏の夜々の涙かや、
此の若者、現世《うつしよ》の醜悪の前に、
心の底よりゾツとして、いたく苛立ち、
癒しがたなき傷手を負ひてそれよりは、
やさしき妹《いも》のありもせばやと、思ひはじめぬ。
さあれ、女よ、臓腑の塊り、憐憫の情持てるもの、
汝、女にあればとて、吾《あ》の謂ふやさしき妹《いも》にはあらじ!
黒き眼眸《まなざし》、茶色めく影睡る腹持たざれば、
軽やかの指、ふくよかの胸持たざれば。
目覚ます術《すべ》なき大いなる眸子《ひとみ》をもてる盲目《めくら》の女よ、
わが如何なる抱擁もつひに汝《なれ》には訝かしさのみ、
我等に附纏《いつきまと》ふのはいつでも汝《おまへ》、乳房の運び手、
我等おまへを接唇《くちづけ》る、穏やかに人魅する情熱《パシオン》よ。
汝《な》が憎しみ、汝《な》が失神、汝が絶望を、
即ち甞ていためられたるかの獣性を、
月々に流されるかの血液の過剰の如く、
汝《なれ》は我等に返報《むく》ゆなり、おゝ汝、悪意なき夜よ。
★
一度女がかの恐惶《(きようくわう)》、愛の神、
生の呼び声、行為の歌に駆り立てられるや、
緑の美神《ミューズ》と正義の神は顕れて
そが厳めしき制縛もて彼を引裂くのであつた!
絶えず/\壮観と、静謐《(せいひつ)》に渇する彼は、
かの執念の姉妹《あねいもと》には見棄てられ、
やさしさ籠めて愚痴を呟き、巧者にも
花咲く自然に血の出る額を彼は与へるのであつた。
だが冷厳の錬金術、神学的な研鑚は
傷付いた彼、この倨傲なる学徒には不向きであつた。
狂暴な孤独はかくて彼の上をのそりのそりと歩き廻つた。
かゝる時、まこと爽かに、いつかは彼も験《な》めるべき
死の忌はしさの影だになく、真理の夜々の空にみる
かの夢とかの壮麗な逍遥は、彼の想ひに現れて、
その魂に病む四肢に、呼び覚まされるは
神秘な死、それよやさしき妹《いも》なるよ!
[#改ページ]
最初の聖体拝受
※[#ローマ数字1、1−13−21]
それあもう愚劣なものだ、村の教会なぞといふものは
其
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