ったのは、ただ私の紙入れの淋しいためだけでない。多くの勝太郎レコードの中で、本当にこれはと思うニホンの民謡のレコードは、そう沢山ないからである。

 ここらでこの漫筆をおしまいにしたら、誠に天下は太平であるが、さて物事はそうは行かない。最後にちょっと私の小さい不平を言わせてもらおう。
 まず私共が切に惜むのは、勝太郎レコードの文句のくだらない事である。文句をどんなに変えても、それで民謡は決して新味を得るものではない。それはかえって鰻の蒲焼を西洋皿に盛って、ナイフとフォクを付けて出すようなものである。歯が浮くとは正にこんな事である。「一番漁した優勝旗」という大漁節もあまり聞かないし、「橋の欄干に佇むルンペン」という詩吟もあまりいい気持はしない。『佐渡おけさ』や『追分節』は大変お上品で無難だかしらないが、私は普通一般にやる『佐渡おけさ』の文句を一シュトローフだけは唄ってもらいたい。従来の民謡の文句がいかに気の利いたものであるかを忘れてはいけない。実はこの文句を離れては本当の民謡は存在しない。
 次は話が多少ややこしくなるが、――三味線の伴奏についてである。民謡の伴奏は三味線だけで十分である
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