な四家《よつや》夫人がラジオで『越後獅子』とかを唄って大いに喝采を博した事があるそうである。それなら今度は勝太郎が『菩提樹』でも唄って、あっと言わせる番である。――もちろん、これは冗談である。しかし、もし私が勝太郎だったら、そんな事は四家夫人のやらない前に必ずちゃんとやってのける。
私は日本風の声の出し方を少しもおかしいとは思わない。弱くて、低くて、そして表情の力は欠けているであろうが、私にはまた一方で、自然な、無理のない、平穏安楽な気持を与えてくれる。日本人がこの日本の声で或る種のリードを唄って何故いけないだろうか。私はニホン音楽をあまり好まないが、もしその中から何かを撰べと言われるならば、私はこの無理のない声の出し方などを撰ぶつもりである。
次にこれは付けたりの事であるが、――そして本当はこれを特に技巧の中には数えられないものであろうが、――私はリュトムスをちょっと注意する。細かい話はここでは出来ないが、とにかく私にはこんなレコードの持つリュトムスの感じが甚だ気に入る。きまり切った三味線端唄なら、そう大した事はないが、自由な民謡では音の長短の割合と曲の進行する速度とが甚だ工合よ
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