奏家にならなかった事を非常に幸福に思っている。
3 私の考
読者諸君、諸君は私のこの話を聞いても、にわかに同意しないであろう。諸君はきっとこう言うであろう。――お前の言う事も本当かも知れないが、それでも何となくまだ何か後に残っているような気がする。まさかパデレウスキーが鍵盤を叩いた音と猫が鍵盤を蹈んだ音が同じだとは、どうも何となくそう思われない。お前の話こそどこか間違っていないか? お前の話は実際本当の事か?
私自身はこの話は実際本当だと思っている。音楽というものは、結局こんなものだと思っている。私自身の常識はこの私の話をよく承認してくれる。この反対の事は私には考えられない。
諸君は何故に演奏家などいう怪しげな中間の存在物にそんなに心が惹かれるのか。音楽が成立するためには、演奏家は明かに第二義的な存在ではないか。
ショパンは美しい曲を作った。そしてプレエルのピアノでそれを弾いた。恋人のジョルジュ・サンドはその美しさに胸を躍らせた。同じように今ここにヤマハやカワイのいい音のするピアノがある。ショパンの全集がある。そしてその美しさに胸を躍らす私共聴衆がある。それで音楽は
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