なったものです。教育の実質的な学問の点から見れば、私共も西洋人も大体おなじものです。その上私共の生活には西洋の要素がかなりはいっております。実際の生活をとれば、ニッポン人も西洋人も今はそんなに違っておりません。そのわれわれに徳川時代の三味線音楽が一体どれほどの感激を与えることが出来るでしょうか。
今長唄を例にとります。長唄の大部分は誇張していえば遊女の讃美の唄です。「松の位の外八文字《そとはちもんじ》。はでを見せたるけだし褄」などいうのが代表的な文句です。私共はこのような事を聞いても、徳川時代の青年が感激したであろうほど感激しません。そして不幸にして三味線の唄の文句は、ニッポンの文学の中でも一番拙劣なものの例の一つに数えていいでしょう。第一唄全体が何をいったものかそれさえろくろくわからないのが沢山あります。三味線の音楽は大部分声楽ですから、まずその文句が私共の文学ではなくなりました。シューベルトの『冬の旅』の文句は文学として少しも優れたものではありませんが、その素朴な感じは私共の心を非常に感激させます。三味線の音楽の文句はそれとまず正反対です。
三味線という楽器は、その物理学上の性
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